ペットを被災地に残さないで「大変だからと見捨てられない」福島・飯館へ1600回、夫婦の願い

福島県飯舘村から連れて帰って来た猫を抱く日比輝雄さん=神戸市西区

 東京電力福島第1原発事故の後、神戸市西区の日比輝雄さん(79)は福島県に一時移住した。住民が避難し、被災地に取り残されたペットに餌を与えるためだった。現場訪問のボランティア活動は約7年で、1600回近くに及ぶ。事故から今月で13年。飼い主とペットの避難問題は、能登半島地震でも指摘された。「同行できる避難所をもっと増やして」と日比さんは訴える。

 2011年3月の東日本大震災で、看護師の妻(64)が救援活動に加わった。しばらくたった頃、日比さんはたまたま読んだ被災地のルポルタージュに衝撃を受けた。原発事故の避難区域に多くのペットが取り残され、食べ物もない-。

 「犬は好きでしたが、保護活動なんてしたことがなかった」。それでも何か役に立てることはないかと、情報を集め、事故からおよそ1年後、福島県飯舘村に入った。

 飯舘村はほぼ全ての住民が避難。村には飼い主が自宅に置いていかざるを得なかった多くのペットが残されている。衰弱しきった犬猫もいた。

 餌やりや保護のため、村に立ち入る住民有志やボランティアと連絡を取り、妻と村に通い始めた。いつもの場所にペットフードを置き、神戸まで帰ってくる。頻繁な往復は負担だったが「大変だからと見捨てられなかった」。一念発起し、12年8月、夫婦で同県郡山市に転居した。

 当時の日比さんのブログには、ペットたちの悲惨な状況が記されている。

 最近になってネコの姿を見るようになったお宅。前回と違うガリガリのネコが飢えて出てきた。えさを求めてうろついていた模様。缶詰、牛乳を与ええさ場にえさを補給した(12年8月6日)

 「マメ」(猫の名)が家から出てきた。ニャッ…ニャッ…と、か細くいななきながらスリスリしてくる。離れる時は雪の中を追っかけてくる。老体で3年近くよく頑張っている(14年1月9日)

 元々住んでいた神戸市須磨区の自宅は売却。退職金のほとんどは、えさ代やガソリン代などに消えた。給餌だけでなく、去勢・避妊手術で繁殖を抑える活動にも加わった。

 腰の状態が悪くなり、夫婦で神戸に戻ってきたのは19年9月。飯舘村への訪問回数は1580回に達していた。現地で保護した6匹の猫を連れ帰った。

 東日本大震災や原発事故でのペット問題を受け、環境省はペットとともに避難するという考えを打ち出しす。しかし、今年1月の能登半島地震でもペットとの同行がかなわず、自宅の納屋などで過酷な暮らしを続ける被災者がいた。

 やせ細ったペットを数多く見てきた日比さんはもどかしく感じている。「被災動物のためのボランティア活動は進歩したが、行政はそれに甘えないで、同行できる避難所を増やすなどペットの環境整備に努めてほしい」(杉山雅崇) 【原発事故とペット】東京電力福島第1原発事故の避難区域では、避難先の事情などで残されたペットが多数いた。環境省によると、第1原発から半径20キロに取り残され、国や福島県によって保護された犬や猫は発生後の約1年間で749匹。うち約3分の1が飼い主の元に戻ったという。餓死したペットも少なからずいたが、正確な数は分かっていない。

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