自然とお金が貯まって災害にビクともしない…家事をラクにした先に待っている「夢の世界」

(※写真はイメージです/PIXTA)

家電や便利グッズを捨て、身の回りにある幸せを大切にし、自分のことは自分でやる。稲垣えみ子さん流の「3原則」を実践して家事がラクになると、予期していなかった“グレートな人生”が待っているといいます。今回は、稲垣さんの著書『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』から、「ラク家事人生」によって得られるものをご紹介していきます。

3原則を実現した先に「夢の世界」が待っている

家事を圧倒的にラクにするためのイナガキ流3原則は以下のとおり。

(1)便利に頼らない(家電や便利グッズを使わない) (2)可能性を広げない(足元の幸せに目を向ける) (3)分担をやめる(自分のことは自分でやる)

一言で言ってしまえば「欲に振り回されず、自立してシンプルに生きる」ということだ。そのように人生が単純になれば、人生の一部である家事も当然単純になるのである。言うてみればそれだけのことである。

でもこの現代という欲望社会で、それだけだとあまりに修行っぽいというか、身もフタもないというか、ストイックすぎて楽しそうな感じがしないと思われるかもしれない。というか、そう思われること確実な気がする。

なのでダメ押しとして、この3原則を実現したらどんなグレートな人生が待っているのかを念のためお知らせしておこうと思う。

これも実際にやってみるまでは予期していなかったことばかりだった。だって面倒な家事がなくなるだけでもとんでもない朗報なのに、さらにその先に、現代人の憂いを吹き飛ばすような朗報がいくつも待っているなんて、そんなウマい話がこの世の中にあるわけないではないか!

でも、あったのだ。

生活コストが圧倒的に減る

まずは、なんといってもこれ。家事がラクになると生活コストが圧倒的に減る! つまりはお金が貯まる! ……と大層に言うてみたものの、これはまあ当然といえば当然だろう。だってラク家事生活とは、欲を減らし、便利なものに頼らず、地味な暮らしに満足して生きることでもあるのだから、当然、暮らしは質素にならざるをえない。

でも実際にやってみて、想像を超えるその圧倒的なローコストぶりには我ながらびっくりしてしまった。というのはですね、そもそも「買う」という行為そのものが、ラク家事を始めて以来、私の中で突然、「キラキラした楽しみ」から、ヤバすぎる「要注意行動」に成り下がってしまったのだ。

「買う」=「家事が大変になる」、つまりはモノが増え、生活が複雑になり、掃除や整頓が大変になるという悪循環のスイッチオンでしかないという超ネガティブイメージが真っ先に思い浮かぶということになってしまったんである。

買うということは人生を豊かに明るくする絶対確実な方法と信じていた価値観からの180度の転換である。

「お金を(意識して)貯める」→「お金が(勝手に)貯まる」に変化

ついこの間まで「可愛い!」「楽しそう!」「美味しそう!」と夢中になって飛びついていた可愛い食器も、ゴチソウ食材も、かっこいい調理道具も、流行の服も、アクセサリーも、新しいインテリア商品も、今や「料理に時間がかかる」「ものが溢れて掃除が大変」「とてもじゃないが整理整頓しきれない」「洗濯がむずい」という「地獄への切符」にしか見えない。というわけで、全く手が伸びない。

我ながらすごいと思うのは、お金を使わない理由が「お金惜しさに我慢している」わけじゃ全くないということだ。ただただ欲しくないんである。こんなメンタリティーになってしまうと、なんの節約の苦労も忍耐もなく、ふと気づけばいつの間にか買うものがほとんどなくなっている。

日々買うものと言ったら、野菜と豆腐、たまに米と乾物と調味料。あとは数ヶ月に一度、掃除・洗濯用の重曹やクエン酸を買い、シーズンに一度下着を買い換える。ほぼそれだけ。それで十分「健康で文化的な生活」が成り立つんである。

それどころか、モノが減って家の中もスッキリ、時間にも気持ちにも余裕ができて、お金を使いまくっていた時と比べて何倍も健康で文化的な生活になっているのである。つまりは「お金を使わない方が豊かな暮らしができている」のである。

私はもう完全に、お金と豊かさの関係がわからなくなってしまった。しかし皮肉なことに、そうなってしまうとお金が貯まるんである。「貯める」んじゃなくて「貯まる」。何しろ使いみちがないのだから……。

最近、お金って、まるで恋愛相手みたいだナと思う。欲しくてたまらなかった頃は、追いかけても追いかけても逃げて行く。しかし「別にいらない」となったらひたすら寄ってくるのであります。まさかこのような境地に達する日が来ようとは。

「常時災害」生活状態なので、災害が起きてもビクともしない

そしてラク家事生活とは、災害があってもビクともしない生活でもある。

これは、少々意外に思われるかもしれない。だって、余分なものを持たないのがラク家事のキモであるわけですが、災害の多い昨今は「いざという時に備えて数日分の食料や生活必需品を備蓄しておけ」というのが世の常識となっている。実際、私の暮らす東京でも、台風など接近しようものなら、スーパーの棚から様々な備蓄品がごっそりなくなるといったことが実際に起きている。

で、改めて我が身を振り返ったわけです。こんなに何も持っていない私。普段は良くとも、災害があったらどうなっちゃうのかと。で、結論はすぐに出たね。何の問題もなし! いやむしろ、ラク家事生活ほど災害向きの生活はないということに改めて気づいたのだ。

何しろそもそも「便利」に頼っていない。私の場合はそこをとことん極めた結果、今の世界的エネルギー危機による電力高騰の時代にあっても電気代は月200円ちょっと、ガスはそもそも契約しておらずカセットコンロと銭湯で生きている、水道も月に1㎥しか使わない、つまりはそもそもライフラインに頼っていないのである。

となれば、災害に強いどころか「常時災害」生活である。災害でライフラインが全て途絶えようが、いつだって洗濯もできるしカセットコンロでメシも炊けるし掃除もできる。少なくとも一週間はフツーに家事をして、普通に生活できる。冷蔵庫も持っていないので、冷蔵庫の電源が落ちたとて何の影響もなし。食材はいつだって漬けたり干したりして常温で常備しているので世界がどう壊れようともストックには事欠かない。

便利をやめると知恵や経験が蓄積され「自分が育つ」

自分で言うのもなんだが、こんなことができる人が、果たして現代においてどれほどいるだろうか? つまりは「便利をやめる」など言われるとどうしても、何か大きな宝物を手放さなきゃいけなくなるような心細さに見舞われてしまうけれど、本当はそうじゃないのだ。便利をやめたらその分、どうしたって自分の中に知恵や経験が蓄積されていくんである。

モノは思わぬことでいつ失われるかわからないし、災害グッズも時とともに劣化するけれど、知恵や経験は時とともに蓄積される一方である。

というわけで、私、台風が来ようがコロナで緊急事態になろうが、慌ててスーパーに走ったことも、走ろうと思ったことも一度もない。その必要が全くないのである。何があろうと平常通り。泰然自若。全く大人物になったものだ。

何が起きるかわからない時代において、何が起きても大丈夫とでんと構えていられることは、やってみればわかるが実にこれ以上の安心はない。ラク家事生活こそ実は最先端の暮らしなんじゃないかと密かに自負する今日この頃である。

稲垣えみ子

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