島原地震の生々しい証言収録 九州大名誉教授の太田さんが学術書刊行 「過去を知り命守れる」 長崎 

「平成の噴火災害の経験者に当時の様子を聞き(今後に)生かしてほしい」と話す太田さん=島原市新湊1丁目、HOTELシーサイド島原

 雲仙・普賢岳噴火災害で観測の中心的な役割を担った太田一也・九州大名誉教授(89)が今月、半世紀以上にわたる研究成果を網羅した学術書「雲仙火山-地形・地質と火山現象-」を自費出版した。23日、長崎県島原市内で会見し「地震や噴火は防げないが、過去にどのような災害が起きたかを知ることで命を守ることができる」と強調した。
 1984年に執筆した同書の増補改訂版。90年11月から96年6月までの「平成の噴火」活動に関する知見のほか、1922(大正11)年に起きた「島原地震」の古写真5枚を新たに盛り込んだ。太田さんの研究を支える九州大地震火山観測研究センター元技術職員の福井理作さんによると、他の論文などに掲載されたことはなく、今回が初公開という。

太田さんが半世紀にわたる研究成果の集大成として刊行した学術書「雲仙火山」

 古写真は約3年前、同市内の男性(故人)が所蔵していたガラス原板を遺族から寄贈され、太田さんが調査してきた。マグニチュード(M)最大6.9を記録した島原地震の犠牲者27人(卒倒での死者1人含む)のうち、13人が集中した旧北有馬村(現在の南島原市北有馬町)で家屋や石橋が倒壊した状況が写され、太田さんは古写真の場所周辺を「被害の中心地」と記した。
 また、太田さんが84~85年、地元紙に掲載した島原地震の被災者13人の聞き書きを収録。「未明の大地震の時、天地が裂けたかのような物音で目覚めた。その瞬間、身体は重い物体に押しつぶされそうになった」(聞き取り時74歳の男性)。生々しい証言を通して、約100年前の地震の恐怖を今に伝える。
 推定M6.4の地震が発生した「島原大変」(1792年)では、眉山が崩壊し、津波で計約1万5千人が死亡。同書では島原大変を「わが国最大の火山災害」と位置付け、太田さんが現地踏査した結果などを基に、崩壊前の眉山のふもとの海岸線図を復元。長年にわたる研究の集大成の一冊となった。
 全6章。B5判、142ページ。3850円。4月1日からインターネット通販「アマゾン」で700部を一般発売する。県立長崎図書館郷土資料センター(長崎市)や島原半島の公立図書館に寄贈する。

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