被爆者の井黒さん追悼展 核なき世界、信念持ち続け活動 写真や日記など展示 長崎で4月9日まで

井黒さんを取り上げた新聞記事や写真などを紹介する追悼展=長崎市、ヒバクシャ・コミュニティ・センター

 昨年11月に97歳で亡くなった井黒キヨミさんをしのぶ追悼展が、長崎市松山町のヒバクシャ・コミュニティ・センターで開かれている。「戦争や核のない平和な世界を子や孫に」をスローガンに活動した井黒さんの写真や、亡くなる2日前までつづった日記の一部を展示している。入場無料。4月9日まで(平日午前10時~午後5時)。
 井黒さんは、看護見習いをしていた19歳の時、爆心地から3.2キロの長崎市桜馬場町(当時)の病院で被爆。被爆した人たちの救護に当たった。脱毛など体調不良が続き、流産したときには「原爆のせい」と言われた。

井黒キヨミさん(2010年撮影)

 82歳で初めて被爆証言をした。2010年には外務省の非核特使に委嘱され、米ニューヨークでの核拡散防止条約(NPT)再検討会議などで発信。国内外で原爆の悲惨さや平和の大切さを訴えた。
 長年、日記形式で半生をノートに記しており、内容をまとめた「私の人生-井黒キヨミ日記」を22年に自費出版。昨年夏まで、親族らと福岡俘虜(ふりょ)収容所第2分所(香焼町)の追悼碑の維持管理を担った。所属する県被爆者手帳友の会の行事にも積極的に参加し、毎月9日に平和公園の「長崎の鐘」を鳴らす活動などを続けていた。
 おいで同会会長補佐の井原和洋さん(66)は約2年半、活動を共にした。井黒さんは晩年まで一人で暮らし、バスで行き来していたという。「元気で過ごせていたことはうらやましいくらい。毎月継続して活動に参加し、信念を感じ尊いなと思っていた」と語る。
 追悼展では、30分の証言映像や、井黒さんの人生を写真で振り返るスライドショーを放映。毎年正月に人生を振り返り、周りへの感謝をしたためた文章も流している。

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