3.25再復興誓う女将 2度被災の塗師屋「必ず立ち直る」

店舗があった場所で再起を誓う塩士さん=輪島市河井町

  ●07年地震から17年 

 25日、輪島市や七尾市、穴水町で震度6強を観測した2007年の能登半島地震から17年を迎えた。当時、輪島総局で見た現地の惨状は記憶に新しく、「なぜ2度も大地震に遭うのか」と悲嘆に暮れる住民も少なくない。それでも前を向く人たちがいる。07年の地震後、再建した店を再び火災で失った塗師屋の女将(おかみ)さんは「応援してくれる人のためにも輪島塗は必ず立ち直ります」と気丈に再復興を誓った。(論説委員、元輪島総局長・田中英男)

 元日の地震後、ずっと気になっていたのが輪島朝市通りの塗師屋だった。07年の地震で全壊した店の再建にこぎ着けた際、上棟式を取材した「藤八屋」。女将の塩士純永(しおじじゅんえ)さん(67)に朝市通りで話を聞いた。

 塩士さんは元日、夫の正英さん(76)と市立輪島病院で地震に遭った。院内で待機すると、次第に火災のニュースが飛び込んでくる。朝市方向の夜空が赤く染まるのをただ眺めることしかできず、店の前に立ったのは翌日だった。

 「不思議と涙は出ませんでした。あっけなく何もかもなくなり、夢の中のようでした」。前回の地震では、がれきの中から必死に漆器を救出したことを覚えているが、今回はまだ現実を受け止めきれない。

 ふとした瞬間に火災の光景が頭に浮かぶが「ダメ、ダメと記憶をシャットダウンするんです。そうしないと気が変になりそうで」。

 焼失した本店は、前の地震からの再建費をまだ払い終えていない。保険金や行政の補助を織り込んでも、また新たに借り入れが増える。だが、県内外の顧客から善意が寄せられており、先週から山本町の工房で製造を再開した。

 「また必ず再建します。そうしないと申し訳ないし、いずれ、いい製品でお返ししたい」。塩士さんは力を込めた。

  ●門前に再び仮設、「絆」の力信じたい

 再び大きな被害に見舞われた門前町の總持寺通りも訪ねた。07年から、総持寺通り協同組合理事長として復興を推進してきた五十嵐義憲さん(76)の落胆は大きい。「ご丁寧に正月に起きんでもいいのにね」。冗談めかしてつらさを抑えているようで切なかった。

 通りでは、そば店が10日ほど前に営業を再開したと聞いた。生前、能登の振興に尽力し、区長として復興に奔走した星野正光さんの子が継いでいる。

 星野さんが店を耐震補強して再開した時、頑固おやじの目に涙が浮かんでいたのを思い出す。この日は休業中だったが、きっと若い世代が遺志を継いでくれると期待した。

 かつて150戸の仮設住宅があった門前町道下の広場では、再び仮設住宅の工事が進んでいた。近くには住民やボランティアがメッセージを書いて木板を並べた「絆の木道(こみち)」の碑が立つ。07年以降、相次ぐ地震で使われた「絆」。また心を寄せ合い、復興を成し遂げる日が来ると信じたい。

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