集団就職の昔

 春らんまん、遠い昔日の旅立ちと出会いをつづった文を本紙「声」欄でよくお見かけする。3月に載った太田正さん(79)の温かな一文を。〈就職のために故郷長崎市を離れて北九州市に行ったのは1963(昭和38)年〉▲長崎駅で、見送りの同級生たちが〈校歌を歌ってくれたり、応援の手拍子をしてくれたり、最後は胴上げまでしてくれました〉。お母さまはホームの柱の陰で泣いていたが、ご本人は同級生の手前、涙をこらえたという▲2月に投稿が載った釣本孝子さん(77)は64年、集団就職で県外へ。3年のうちに〈生涯の親友ができ、その後の私の人生で大きな力となった〉▲集団就職用の初めての臨時列車が青森駅を出て、上野駅に向かったのは54年(昭和29)年4月5日、きょうで70年になる。“金の卵”の第1期生も80代半ばに達した▲多くは都会に出て、高度成長の裾野を支えた。集団就職を歌にした「あゝ上野駅」という曲の一節にある。〈上野は俺(おい)らの心の駅だ/配達帰りの自転車を/とめて聞いてる国なまり〉▲青森から上野まで臨時列車で21時間ほどかかったという。長崎からは列車でどれくらいだったか。今よりもはるかに古里が遠く感じられた昔、駅にわざわざ行って聞いたお国なまりという“届け物”は何よりも心に染みたことだろう。(徹)

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