ゆっくり進行、復興のレール のと鉄道全線再開・本社記者ルポ

全線運行再開を喜び合う乗客と地元住民=穴水町の能登鹿島駅

 車窓から眺める七尾湾は銀鱗(ぎんりん)のようにきらめいていた。6日、ついに全線の運行を再開したのと鉄道。安全を期して低速で能登路を進む車体は、復興に向けて堅実に歩む能登の人々の姿と重なって見えた。(編集委員・竹森和生)

 のと鉄道に乗るのは、穴水町の支局にいた新米記者時代以来、実に20年ぶり。七尾駅を出て約30分、右手に七尾北湾の眺望が開けた。薄い春霞(はるがすみ)が立ち、立山連峰までは見通せないが、胸のすく大パノラマが窓枠いっぱいに広がる。

  ●手を振り出迎え

 今から135年前、米国人天文学者のパーシバル・ローエルもこの景色に心を奪われている。能登の魅力を世界に紹介した先駆者だ。もちろん、のと鉄道はない時代だが絶景は今も変わらない。ローエルの言葉を借りるなら、「海岸線の屈曲の多様性はなまめかしいほど」で、そのなだらかな曲線をなぞるように、列車はゆったりとしたペースでガタゴト進む。

 桜のトンネルで有名な能登鹿島駅で途中下車すると、住民が手を振り迎えてくれた。ホーム沿いの桜は咲き始めだが、同駅さくら保存会の堂前勇次郎会長(82)は感慨深げに老桜(おいざくら)のつぼみを見やる。

 「能登を応援しに来てくれる皆さんのために、90歳過ぎの老木も頑張って咲こうとしとるんやわ」。10日ごろには満開を迎えそうだという。

 駅から数分歩き、農家民宿「龍屋(たつや)」へ。運行再開に合わせて売り出した花見弁当を昼食にした。穴水産米「ノトヒカリ」や奥能登特産のシイタケ「のとてまり」を使った能登づくしだ。

 カウンター席は目の前が海である。女将(おかみ)の藤本陽子さん(46)が言う。「若い頃は立ち止まって眺めることもなかった景色なんですけどね。湾から昇る朝日がすごくきれいでお客さんが驚くんです」。震災以降、民宿は復旧作業関係者が寝泊まりしていたが、5月の連休に向けて観光客の予約も入り始めているそうだ。

  ●花見酒熱い思い

 カウンターで隣り合った愛知県犬山市の会社員伊藤桂さん(35)は能登鹿島駅で花見酒を傾け、運行再開を祝いに来たという。地震で損壊した穴水駅前の街並みに涙が込み上げた伊藤さんは「食も歴史も文化も豊かなこんな土地をもり立てていかないと日本は駄目になりますよ」と熱い思いを語ってくれた。

 再び鉄路で終点の穴水駅へ向かう。沿線の風景には倒壊家屋やブルーシートが目立ち、ガタついた黒瓦が陽光をギラギラと乱反射している。

 穴水駅に着き、隣接の物産館をのぞくと鉄道利用客でにぎわっていた。店長の小林由加里さん(55)は「桜の季節に店を再開できるなんて思わなかった。こうして町に明かりが灯(とも)っていくのがうれしくて」と感無量の様子だ。

 ささやかな応援にと「がんばろう能登」の文字が入る車両のヘッドマークのキーホルダーを買った。「皆様の心の故郷に戻れるよう一歩ずつ進んでいきたい」。パッケージに記されたのと鉄道職員の皆さんの決意が胸に染みた。

 出発式が行われた穴水駅では「運転再開お待たせしました」と書かれたプラカードが掲げられ、祝福ムードに包まれた。

  ●「子ども駅長」一番列車に 上平壮真ちゃん、穴水駅で笑顔

 穴水駅を頻繁に訪れ、駅員から「駅長さん」と親しまれる上平壮真(うえひらそうま)ちゃん(2)=穴水町大町=は駅長の衣装で工事関係者らと記念撮影して一番列車に乗り、「楽しかった」と周囲を和ませた。

 穴水駅の一日駅長に委嘱された佐藤まゆみさん(72)=穴水町鹿島=は出発の合図を出す大役を終えた後、花壇の手入れをする能登鹿島駅に移動。代表を務める地元女性グループ「桜娘ズ。」のメンバー6人と利用客に花苗を手渡した。「今まで以上に頑張ろうと思う一日になった」と決意を新たにした。

 新人運転士で一番列車がデビューとなった山本兼司さん(42)=能登町鮭尾=は穴水―七尾間を1往復し「緊張したが、無事に終えてほっとした。とにかく安全運転に努める」と話した。

一番列車に乗りに来た上平壮真ちゃん=穴水駅

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