「島原大変」の犠牲者供養 住民ら5年ぶり 「今後も眉山の治山努める」 長崎

位牌を前に、慰霊の辞を述べる大場会長=島原市、眉山治山祈念公苑

 江戸時代に眉山が崩壊し、約1万5千人が亡くなったとされる「島原大変」の慰霊祭が7日、長崎県島原市上の原3丁目の眉山治山祈念公苑で5年ぶりに営まれ、犠牲者を供養した。
 島原大変は1792年、雲仙・普賢岳の噴火活動に伴う大地震で眉山が大崩壊。土砂崩れや津波で島原城下だけでなく、熊本や天草にも被害が及んだとされる。
 慰霊祭は、島原市内の経済団体などでつくる眉山治山祈念公苑保勝会が主催。住民ら約80人が参列し、僧侶が読経する中、島原大変遭難死者の位牌(いはい)の前で焼香して手を合わせた。
 同会の大場正文会長(85)は「今後も眉山の治山成就と郷土島原の発展に努めていかなければならない」とあいさつした。

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