デビュー直後のTJ手術にイニング制限論争、大型契約の不良債権化...常に論争の中心にいた“ドラフト史上最高の大物”ストラスバーグ<SLUGGER>

4月7日(現地)、スティーブン・ストラスバーグ(ナショナルズ)が正式に引退を表明。プロ入りから15年に及ぶ波乱の現役生活に終止符を打った。

改めて振り返ると、ストラスバーグのキャリアには常に故障にまつわる論議がついてまわった。

サンディエゴ州立大時代に「ドラフト史上最高の大物」と騒がれ、2009年ドラフト全体1位指名でナショナルズに入団。翌年6月、全米から大きな注目を集めたメジャー初登板で、いきなり7回14奪三振、2失点の衝撃デビューを飾る。直後に『スポーツ・イラストレイテッド』誌の表紙を飾り、ユニフォームの売上で球界トップに立つなど、ストラスバーグは一躍“時代の寵児”となった。

だが、7月下旬に右肩を痛めて故障者リストに入りすると、8月にトミー・ジョン手術。球界に衝撃が走ったこの一件以降、ストラスバーグは最後まで“ガラスのエース”とのイメージを覆すことはできなかった。

11年9月に復帰したストラスバーグは12年、完全復活を遂げる。
4月に月間最優秀投手に選出されると、初のオールスターにも出場。ブライス・ハーパーがデビューしたこの年はチームも絶好調で、ワシントンDC移転後初のプレーオフ出場はもちろん、前身モントリオール・エクスポズ時代にもなかったワールドチャンピオンへの期待が高まっていた。

しかし9月上旬、マイク・リゾーGMはイニング制限に達したことを理由に、ストラスバーグを残りシーズンで起用しないことを発表したのだ。これには「せっかく世界一を狙えるチャンスなのに」「若い投手を甘やかしすぎ」とファンや識者から批判が殺到。一方でリゾーGMを擁護する声もあり、球界全体を二分する論争に発展した。

その年、地区優勝を飾ったナショナルズだったが、地区優勝では2勝3敗でカーディナルスに敗戦。「ストラスバーグがいれば……」と再びファンからは怨嗟の声が上がり、“ガラスのエース”とのイメージはさらに強化されることになった。
それから7年後、ストラスバーグは“借り”を返すことに成功する。初の最多勝を挙げて臨んだポストシーズンで、6登板(5先発)して5勝0敗、防御率1.98と獅子奮迅の大活躍。球団史上初の世界一の立役者となり、ワールドシリーズMVPも受賞したストラスバーグは、7年前に「前に進むために、時には脇道に逸れなければならない時もある」と語ったリゾーGMの決断が正しかったことを証明してみせたのだった。

その年のオフにFAとなり、7年2億4500万ドルでナショナルズと再契約。この大型契約が、またも論議を呼ぶ結果となった。

20年は右手の神経障害、21年には胸郭出口症候群を発症し、22年もわずか1登板。その年の6月を最後にメジャーのマウンドに立てないまま引退となった。大型契約を結んで以降の成績は8登板で1勝4敗、防御率6.89。計2億4500万ドルの投資はあまりにも高い買い物となり、ファンからは“球界最悪の不良債権”との心ない声も飛び交った。

元チームメイトで、現在は地元放送局MASNで解説者を務めるケビン・フランゼンは引退の報を受け、「悲しいことだけど、ホッとした部分もあるんじゃないか。リハビリの苦しみから解放されるのだから」とコメント。アナウンサーのボブ・カーペンターは「選手の偉大さは大舞台での活躍で決まる。その点で、スティーブン・ストラスバーグは大スターだった」と称賛した。

一方、プロ入りからずっとストラスバーグを見守り続けたリゾーGMは声明で「ワシントン・ナショナルズ史上最高の選手の一人として歴史に残るだろう」とコメント。リゾーGMの言う通り、通算113勝はナショナルズ歴代最多で、前身エクスポズ時代を含めても2位に位置する。

デビュー直後のトミー・ジョン手術にイニング制限論争、そして相次ぐ故障による不良債権化……。思わぬ形でさまざまな論争の主役となってきた“ドラフト史上最高の大物”。だが、キャリアをナショナルズ一筋で遠し、球団史に残るヒーローとしてユニフォームを脱ぐことができたのは幸福と言えるだろう。

構成●SLUGGER編集部

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