富山最後の夜、被災者が謝意 2次避難先のホテルに

ホテルのスタッフに謝意を示す被災者=富山市内のホテル

  ●珠洲からの50人、14日引っ越し

 能登半島地震後、2次避難先として富山市のホテルテトラリゾート立山国際で生活してきた珠洲市の被災者は14日、滞在期限を迎えて次の避難先や故郷などに引っ越す。最後の夜となった13日、夕食後に約50人がホテルのスタッフに「長い間本当にありがとうございました」と声をそろえて謝意を示した。「さびしい」「絶対会いに行くね」。被災者とスタッフは約2カ月半にわたる日々の思い出を語り合いながら名残を惜しんだ。

 「私たちは地震で多くのものを失ったが、励ましやいたわりの気持ちなど、大きなものをもらった」。大兼政康秀さん(60)=馬緤町=は、滞在する被災者のまとめ役を担ってきた。ホテルが協賛金を募って企画した花火が特に思い出深いとし「心遣いに大変感動した。感謝してもしたりない」と振り返った。

 大兼政忠男さん(76)=大谷町=は「ずっと親身になって接してもらってありがたかった」と振り返った。「保健所や富山市の職員にも感謝したい」と話した。

  ●涙浮かべ再会約束

 「道が良くなって、安全になったら珠洲に来てね」。細口よし子さん(75)=宝立町=は、従業員の前田志津恵さん(49)と再会を約束した。珠洲に戻って生活するとし「大変な目に遭ったけど、皆さんに温かくしてもらって感謝感謝やわ」と話した。

 配膳係として被災者と接してきた前田さんは「さみしい」と目に涙を浮かべた。一時的に帰宅した被災者からナマコをお土産にもらったり、春に採れる山菜の話をしたとし「家族みたいに感じていた。また会いに行く」と話した。

 前田さんの長男優羽さん(19)=富山県立大2年=はアルバイトとして2月から被災者への配膳などの業務に当たってきた。地震当日のことや珠洲での生活を話してもらったとし「孫みたいにかわいがってくれた。仲良くなれたのに残念」と話した。

  ●「家族が離れるよう」

 この日の夕食は、黒毛和牛のしゃぶしゃぶ、ホタルイカの酢みそ和え、シロエビとサスの昆布じめなどが提供された。料理責任者の吉田大重さん(50)は最後は富山の春の味覚を味わってもらいたかったとし「新たな生活でも頑張ってほしい」と話した。

 松原和徳支配人は家族が離れていくようだとし「一日でも早く、普通の生活に戻ることができるように祈っている」と話した。

 ホテルテトラリゾート立山国際では12日、富山市のグループ「リコーダーアンサンブル・パレット」による演奏会も開かれ、避難者が聴き入った。

© 株式会社北國新聞社