大谷、松井さんに並ぶ175号 日本選手最多 2大スラッガー、共通の恩人

  ●ゴジラ最後のアーチ見届けた本紙番記者

 米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手(29)が12日、ロサンゼルスのドジャースタジアムで行われたパドレス戦で、メジャー通算175本目の本塁打を放ち、松井秀喜さん(49)の日本選手最多記録に並んだ。ユニホームを着た時代は違うが、海を渡ったスラッガー2人は共通の恩人との出会いに支えられ、実績を残してきた。(編集局次長兼運動部長・杉山圭一郎)

 松井さんの現役最後の本塁打は、大リーグ4球団目となるレイズに所属していた2012年6月1日のオリオールズ戦だった。場所はフロリダ州の本拠地球場で、「番記者」の私はバックネット後方の記者席で、37歳だったゴジラの豪快な一撃を見ていた。

  ●マドンとフリードマン

 12年まで7年間米国に駐在した。全米野球記者協会(BBWAA)に所属してメジャーリーグを取材した経験からすると、松井さんと大谷選手に不思議な縁を感じずにいられない。

 松井さんが所属したレイズは当時ジョー・マドン氏(70)が監督だった。彼は大谷選手がエンゼルスに入団した時の監督で、二刀流にゴーサインを出した恩人として知られる。

 また、大谷選手のドジャース入団のキーマンとされる編成本部長のアンドリュー・フリードマン氏(47)はレイズの元GMで、12年前にシーズンが始まっても所属先がない「引退の瀬戸際」に立っていた松井さんの獲得を決めた人物でもある。

 マドンとフリードマン。2人がいなければ、松井さんの175本目のアーチはなかった。大谷選手の現在の活躍もなかったかもしれない。

 松井さんは2009年にヤンキースの主軸を打ち、日本人で初めてワールドシリーズMVPに輝いた。強豪ドジャースに移籍した今季、大谷選手が再び偉業に並ぶ可能性は大いにある。大谷選手がどれだけ打っても、松井さんの功績が薄れることはない。松井さんの言葉を借りれば「一人の大谷ファンとして活躍を楽しみにしている」。

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