《絹びと 産業を次代に》①桑の苗木栽培 「養蚕にも必ず芽がある」 桑苗園経営・大竹文明さん(富岡市田篠) 皇居内の桑園に提供

苗木の様子を見る大竹さん。県内唯一の桑苗農家として養蚕業を支えている=4月中旬、富岡市

 「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録から6月で10年を迎える。明治期から受け継がれ、国内で群馬県にしか残っていない一体的な蚕糸絹業に従事する「絹びと」たちの姿を改めて見つめ直す。

 短く切った枝の端をナイフで削ってとがらせ、台木と呼ばれる根の部分に差し込む―。「こうすると形成層に養分が流れてくっつくんだ」。4月中旬、富岡市内の作業場で、大竹文明さん(74)は枝と台木を次々に組み合わせていった。接ぎ木という植物の繁殖法の一つで、苗木の出来を左右する重要な工程だ。「接ぎ木がまともにできなきゃ桑苗は作れない。基本だよ」

 桑の苗木を県内で唯一生産し、全国に出荷する「大竹栽桑園」(同市田篠)の4代目。蚕の餌となる桑はおよそ15年に1度、植え替える必要がある。かつては県内でも多くの桑苗農家が養蚕農家を支えていたが、養蚕の衰退に伴い、今では全国でもほとんど見られなくなった。

 養蚕を取り巻く環境は厳しい。ここ数年の苗木の年間出荷量は平均2万本ほど。最盛期の1985年ごろと比べると8割減った。出荷先の多くは桑茶などを製造する健康食品メーカーが占め、養蚕向けの比率は少ない。自身もかつて養蚕を手がけ、多い年で4トンの繭を出荷したが、30年ほど前にやめた。

 そんな中、苗を作り続ける励みとしてきたのが、宮中のご養蚕を支えているとの自負だ。ご養蚕は1871(明治4)年、昭憲皇太后が復活させ、歴代の皇后さまに引き継がれてきた。復活当時に田島弥平ら現在の伊勢崎市境島村の住民が養蚕の世話役を務めるなど群馬県とのゆかりも深い。

 大竹さんは2000年ごろから皇居内の桑園に苗木を提供してきた。秋篠宮さまが19年に来県した際は、富岡製糸場(富岡市)とともに苗木の畑を視察に訪れられた。新型コロナウイルス禍で中断した時期を経て今年3月、5年ぶりに40本を納めた。「(皇室との関係は)大変光栄で張り合いになっている」と笑顔を見せる。

 かくしゃくとして見えるが、70代半ばとなり「最近畑を歩くと、足がガクガクするようになった」。異常とも言える最近の夏場の暑さも体に響く。昨年は植え付けた苗の半数近くが高温障害で育たず、出荷量は7千本に落ち込んだ。業界の現状以外にも、悩みの種は多い。

 それでも半世紀にわたり群馬県の蚕糸業を支えてきた手で苗を育て続けている。現在は次女の夫で5代目を継ぐ洋光さん(46)と共に畑に出て技術の継承にも努めている。「接ぎ木はもう自分よりうまい。いつ俺がいなくなっても大丈夫」と信頼を寄せる。

 「しだれ桑にも上を向いて伸びる芽が一つだけある。群馬の養蚕にも必ず芽があるはずだ。それを見つける努力を続けないといけない」。養蚕の未来を語る時、淡々とした口調が一瞬、熱を帯びた。

県内の面積は210ヘクタール 最盛期の0.4% 県蚕糸特産課によると、2023年7月末時点の県内の桑園面積は210.6ヘクタールとなり、前年同期から3.7%減った。このうち桑が栽培されているのは75.5ヘクタールで、実際には多くが遊休農地になっている。ピークだった1930年の4万8170ヘクタールと比べると、0.4%まで激減している。

© 株式会社上毛新聞社