【社説】国スポ改革 開催の意義問い直そう

 都道府県の持ち回りで毎年開かれる国民スポーツ大会(国スポ=旧国民体育大会)の見直し論が高まっている。

 開催地の財政負担の重さを理由に、全国知事会の会長を務める宮城県の村井嘉浩知事が「廃止も一つの考え方」と問題提起したのが発端だ。

 2030年に開催を控える島根、33年の鳥取など全国の知事たちからも、改革を求める発言が相次ぐ。スポーツを取り巻く環境が変わり、国民の関心が薄れた側面もある。

 いったい誰のための、何のための大会なのか。2巡目の開催が終わる10年後に向け、開催の意義そのものから問い直す機会としたい。

 大会は日本スポーツ協会と文部科学省、開催地が共催する。1946年、敗戦に打ちひしがれた国民の健康や体力の向上、地方のスポーツ振興などを旗印に始まった。

 スポーツ施設や道路など各地の社会インフラ整備に果たした役割も大きい。1980年代に2巡目に入ったのも、こうした地域振興への期待からだ。2巡目を終えた広島、岡山、山口も例外ではない。

 ただ、自治体の財政が厳しさを増す中で、開催は重荷になってきた。250億円にも上る開催経費の約9割は開催地が担う。特に小規模県では負担への批判が根強い。

 「血の小便を出して何とかやれる」「松江市役所が二つぐらい建つ」―。島根の丸山達也知事が強い言葉で不満を表現したのは特筆される。

 選手強化の負担もある。2巡目以降の8割以上の大会で開催地が総合優勝したのは明らかに不自然だ。身の丈を超え、有力選手の獲得に奔走する慣例は改める時だろう。

 開催地は大会の10年ほど前に決まり、約5年前に準備が本格化する。34年に2巡目が終わる前に、大会の目的と意義を再設定したい。見いだせねば廃止もやむを得まい。

 二つの負担を減らして継続する一案は、インターハイのような地域ブロック開催への移行だ。例えば中国地方なら、5県の既存施設や人材を活用した運営が可能になる。

 約40の競技や種目にもスリム化の余地がある。秋は日程が立て込むため、国スポから脱退を望む競技団体もあるかもしれない。総合得点を競う意味も含め、各団体の本音を把握して改革に生かしたい。

 もちろんプラス面の検証も必須だ。選手や役員で約2万2千人、応援者を含めると延べ50万人規模が集う。費用対効果を高められれば、地域経済への大きな刺激となろう。

 陸上男子100メートルの日本記録保持者・山縣亮太選手のように、古里広島から出場し続ける選手もいる。選手の郷土愛に触れられるのは、都道府県対抗の国スポならではだ。

 住民のボランティア参加も特長の一つ。町を美化したり、運営を手伝ったりする経験はまちづくりの礎になっている。子どもたちが得る財産も数字だけでは測れない。

 開催地と、選手を派遣する側の双方が望む大会でなければ3巡目に入る意味はない。まだ時間はある。慣例や惰性と決別し、改革への議論を深めてほしい。

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