《高崎駅とともに 開業140年》(上)駅舎改修 西口・東口つなぎ活力 中央通路の整備で街が変化

駅東西をつなぐ改札前の中央自由通路を歩く大勢の家族連れら。通路の整備による駅東西の一体化が周辺のにぎわい創出につながっている=4月29日午後4時ごろ

 JR高崎駅(群馬県高崎市八島町)は1日、1884年5月1日の開業から140周年を迎えた。北関東有数のターミナルとして人の移動を支える一方、駅ビルや駅東西をつなぐ自由通路など度重なる駅舎の改修を通じ、市中心街のにぎわい創出にも貢献してきた。これまでの歩みとまちづくりへの影響を振り返る。

 大型連休中の29日。改札前の中央自由通路に旅行かばんを携えた親子連れや観光客が絶え間なく行き交っていた。現在はJRの上越、北陸新幹線と在来6路線、上信電鉄が乗り入れ、一日平均乗車人員はJRだけで2万7299人(2022年度)に及ぶ。

 駅舎は改修を繰り返しながら、群馬県の玄関口として発展を遂げてきた。特に1982年完成の改修では、商業施設が入る駅ビル「モントレー」やホテルが誕生し、駅利用の幅が大幅に広がった。同年は上越新幹線も開業。首都圏や新潟への移動時間が一気に縮まり、群馬県へのビジネスや観光産業の集積が進むきっかけとなった。

 さらに市中心街の発展に寄与したのが2005年完成の中央自由通路だ。以前の駅は西口と東口にそれぞれ改札があり、駅東西を行き来するには離れた場所にある通路を使う必要があった。こうした状況も背景に西口は百貨店を核に多彩な店が並ぶ一方、東口は事業所が入る商業ビルなどが多く、分断が目立った。

 そこで駅両側を直結させて東西の交流と商圏の一体化を進めようと、JR東日本高崎支社は04年、実に22年ぶりの大規模改修として中央自由通路の工事に着手。バリアフリー化と新幹線専用口の設置も進め、駅東西を自由に行き来できる現在の姿が完成した。

 改修後、駅東側は08年にヤマダ電機「LABI1高崎」(当時)がオープン。19年に高崎芸術劇場(栄町)が開設し、県内外から多くの人が著名アーティストらの公演に訪れるなど集客施設の集積が進んだ。

 市も歩調を合わせて東口にペデストリアンデッキ(歩行者回廊)を整備。ヤマダや同劇場などをつなぎ、歩行者の利便性と安全性を高めた。現在、同劇場西隣で建設計画が進む複合ビルにもデッキを延長する方針だ。

 東口近くで酒店を営んできた春川宜充さん(69)は「東口は戦後しばらく製造会社が多く並ぶ地域だったが、自由通路などができ、都会的でにぎやかになった」と変化に驚く。

 駅西側も17年に全国大会や国際大会が多く開かれる体育館「高崎アリーナ」、イオングループの「高崎オーパ」が相次いで開設。交通アクセスの良さを背景に、駅を核としたまちづくりが東西で進みつつある。

 04年から約4年間、高崎駅長を務めた湯本典丈さん(74)は中央自由通路の改修を「JR高崎支社と市が一体となって、『駅から始まる街づくり』を進める大がかりなプロジェクトだった」と振り返った。

© 株式会社上毛新聞社