もう一人の「老農」、養蚕や廃娼に尽力 角田喜右作(群馬・渋川市出身)の功績に光 文芸評論家・黒古さんが書籍出版 

角田喜右作

 明治時代に養蚕振興や廃娼運動へ力を尽くした樽村(現群馬県渋川市赤城町)出身の角田喜右作(1853~1910年)に光を当てようと、文芸評論家の黒古一夫さん(78)=前橋市粕川町=が「もう一人の老農 角田喜右作」を著した。喜右作の功績は多分野にわたっていたため評価が高まらなかったが「現代群馬の蚕業、人権擁護の源流の一人」と評し、地元での顕彰へ期待を寄せる。

文芸評論家・黒古さんが書籍出版

 喜右作は江戸時代末期、樽村の名主の家に生まれた。旺盛な向学心を持ち、東京まで出向いて宗教や憲法など多分野を学習。帰郷後は家業でもある農業、とりわけ養蚕の質改善に力を注いだ。1882年からは連続4期で県議会議員を務め、 58歳で死去した。

 98年には「群馬県下桑樹萎縮病予防問答」を著した。同書は明治20年代ごろから全国で流行していた、蚕の餌となる桑の葉の「桑樹萎縮病」への対策が書かれたもの。一問一答形式となっており、回答しているのは「老農」とたたえられる農業指導者、船津伝次平だ。

 刊行は、伝次平死去の半年前でもあり、黒古さんは「伝次平が持つ知識や経験の全てを引き出している。同じく知識と情熱があった喜右作だからこそできたこと」と指摘する。「もう一人の―」では、これまで書籍化していなかったという「群馬県下桑樹萎縮病予防問答」を全文収録した。

 県議時代には、廃娼運動に汗を流した。前例のない公娼廃止に及び腰だった当時の知事へ「世論に逆抗するところの針路を執するのことについて、はなはだ不満足に堪えない」と演説。同僚県議だった湯浅治郎らとともに全国初の廃娼県を実現した。黒古さんは「彼の歩みは、中央の政治や文化が地方へどう広がったかを探るヒントにもなる」とする。

 書籍の編著には、村史や当時の議会議事録、雑誌など文献が多種にわたった。多くの著作がある黒古さんにとっても骨の折れる作品作りだったというが「喜右作が、誰かの郷土の誇りとなればうれしい」と、功績が多くの人に広がることを願っている。

黒古さんが著した「もう一人の老農 角田喜右作」

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