新幹線敦賀以西、米原に切り替えるべき 自民県連会長代行・米原氏 富山新聞社インタビュー 

米原ルートへの見直しを訴える米原氏=県議会

  ●北陸の経済界で議論を

 北陸新幹線敦賀以西について、富山県内からも現行ルートの見直し論が出てきた。自民党富山県連会長代行の米原蕃県議は富山新聞の単独インタビューに応じ、小浜ルートは距離や財源など課題が多いと指摘し、「小浜だとできない。米原ルートが現実的。切り替えるべきだ」との意向を明らかにした。能登半島地震後、石川県内で米原ルートへの転換を求める声が相次ぐなか、富山の重鎮県議からも同調する声が上がったことで、一刻も早い大阪延伸に向け、ルート見直しの動きが広がりそうだ。

 米原氏は、現職の県議で最多の当選10回を重ね、自民党県連で強い影響力を持つ。一方で、富山経済同友会の代表幹事をかつて務めるなど経済人としても顔が広く、「富山県議会のドン」(関係者)と目されている。

  ●早く通すのが大事

 米原氏は取材に対し、北陸新幹線の構想は1965(昭和40)年に金沢で開かれた一日内閣で砺波商工会議所の岩川毅会頭が「北回り新幹線」を提唱したことが始まりだったとし、「今こそ原点に返って、米原経由の先行開業を考えなければいけない。とにかく早く通すことが大事だ」と語った。

 石川県内では、ベテラン県議、沿線市長に続き、4月26日には金沢経済同友会が、災害時の輸送ルートの確保、建設費の高騰、京都府内の共産党やその他の根強い反対勢力の動きなどを理由に、現行の小浜ルートから米原ルートに切り替えるよう主張している。

  ●小浜だとできない

 これに、米原氏は「よく言ってくれた。米原ルートは理屈に合った極めて現実的な話だ」と賛意を示した上で、「小浜は大変な思いをして原発立地に協力し、役割を果たしているのは分かる。でも小浜にこだわっていたらいつまでたってもできない。何十年も敦賀止まりという訳にはいかない」と見直しの必要性を訴えた。「米原から関空に入るルートを地元負担なしで延伸すれば関西も北陸も、お互いにいい関係になれる」とも提案した。

 さらに、米原氏は、北陸新幹線延伸では北陸の経済界が力を合わせてきた歴史があり、北陸経済連合会で合意形成することが突破口になるとし、「北陸三県の経済にとっても早く関西圏と結ぶことが大事だ。北経連も軌道修正すべきだ」と指摘した。

 新田八朗知事が小浜ルート実現に努める姿勢を示していることについては「県内は既に開業し、声を出しにくいのは分かるし、知事一人でできる話ではないが、決断して変化を起こすことは政治家の役割だと思う」と述べた。

  ●福村・石川県議「渡りに船」 隣県連携に意欲

 富山の米原県議が米原ルート転換を求めたことに対し、かねて米原案を主張していた石川の福村章県議は「私の考えと全く同じだ。渡りに船であり、十分に連携を取りながら再議論を促していきたい」と歓迎した。

 福村氏は12期、米原氏は10期と石川、富山県議会でそれぞれ最多当選の議員。福村氏は「米原さんは経済人でもあり、早く新幹線を大阪につなぐ重要性をよく理解しておられるのだろう。近々米原さんに会って米原ルートの話をしたい」と語った。

 新幹線の停車駅がある小松市の宮橋勝栄、加賀市の宮元陸両市長は4月30日、金沢市で開かれた馳浩石川県知事との懇談の場で米原ルートへの再考を訴えた。金沢経済同友会も同26日、小浜ルートの実現は困難とし、米原ルートの再考を提言した。

 福村氏はこうした動きを挙げながら「石川県内をしっかり固め、他県へも運動を波及させたい」と意気込んだ。

 敦賀以西の延伸を巡っては、森喜朗元首相も1月に都内で開かれた会合で「米原から京都、大阪をつなぎ、さらに関西国際空港まで伸ばすのが望ましい」と持論を述べている。

 石川県議会は15年10月に米原ルートの実現を目指す決議を可決したが、16年12月に「米原」「舞鶴」を含む3案の中で北陸から新大阪までの所要時間が最も短く、料金の安さが決め手となり、小浜ルートで決まった経緯がある。

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