姥棄てについて考える(5月5日)

 実は、姥[うば]棄[す]てをテーマにした新書を書き下ろす準備を、少しずつ始めている。まだ四十代になったばかりのころに、ある出版社から刊行する企画が立ち上がっていた。だから、担当編集者を何と三十年間も待たせてしまったことになる。その破天荒な編集者は数年前に、似合わぬ社長業を引き受けることになり、お祝いの言葉を伝えると、「あの本、そろそろ書いてくださいよ」と豪快に笑われた。企画は忘れられず生き残っていたのである。

 そのあいだに、わたし自身が七十歳の境を越えて、大学も定年退職になった。棄老伝説と呼ばれる、六十歳になった老人が山に棄てられる昔話に関心を持ったきっかけは、たぶん、『遠野物語』に見えるデンデラ野の伝説に出会ったことだ。そこには、「昔は六十を超えたる老人はすべて、この蓮[れん]台[だい]野[の]に追いやるの習いありき」とあった。初めての遠野の旅でもまず、この蓮台野、土地の人々がデンデラ野と呼ぶ姥棄ての地を訪れている。

 衝撃だった。その、デンデラ野は村のすぐ背後にあった。野原の一角にあって、木の卒塔婆らしきものが立っているだけだった。草を分けて丘のはずれまで行ってみると、すぐ眼の下に集落の家々や田んぼがあって、働く人の姿が見えた。その、あまりの近さに驚いたのだ。これでは、棄てられたって、すぐに帰って来てしまう。だから、老人たちはいたずらに死んでしまうこともならず、日中は里へ下りて農作の手伝いをして、わずかな食料をもらって戻った、という表現が妙にリアルに感じられた。遠野の姥棄て譚ははたして、たんなる根も葉もないお話にすぎないのか、何らかの歴史に繋[つな]がっているのか。

 それから、棄老伝説にかかわる資料を探しはじめた。百枚ほどの論文も書いた。そして、編集者が苦労して、企画会議を通してくれて、あとは原稿を書くだけとなった。それが、野ざらしに捨て置かれることになったわけだ。企画は嬉[うれ]しいことに生きていた。いまにして思えば、ひそかに畏怖のような感情を抱いていたのかもしれない。老いについてなど書けない、いや、書くべきではない。七十歳を過ぎて、そろそろ書いてもいいのかもしれないと思った。老境にたどり着いたいまならば、知ったかぶりではなく書けるかもしれない、と感じた。

 老いは確実に、そこにある。昔ならとっくに棄てられている年齢なのだ。老いのイメージや処遇のあり方は変化しつつある。どこを歩いていても、自分と同じような年代の人の姿が目立つ。都会でも高齢化は進んでいる。老年の世代に退場を迫る、物騒なようにも、当然のようにも感じられる発言が注目を浴びる。だから、あえて姥棄ての物語を取りあげる。そこにはきっと、老いをめぐる知恵や思想のかけらが豊かに埋もれているはずだ。その掘り起こしから、老いの現代的な風景に眼を凝らしてみたい。こどもの日こそ、老いを再考する時間を必要としている。

(赤坂憲雄 奥会津ミュージアム館長)

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