読み解くほどに作者の鋭い洞察が光る、物語として味わい深くなっていく名作を今回は紹介。
年間数百タイトルの漫画を読む筆者が、時事に沿った漫画を新作・旧作問わず取り上げる本連載「漫画百景」。
第三十一景目は『女の子のいる場所は』。日本やサウジアラビアに暮らす10歳の少女たちを通して、各国の社会通念における女性差別を描いた作品です。
子どもたちの健やかな成長を祝う“こどもの日”、5月5日に読む漫画として紹介します。
やまじえびねによる短編集『女の子のいる場所は』
作者・やまじえびねさんによる『女の子のいる場所は』は、サウジアラビア、モロッコ、インド、日本、アフガニスタンに生きる10歳の少女たちの物語を収録した短編集です。
国ごとの社会通念、慣習、宗教などにより生じる理不尽を、少女たちの日常と共に描写しています。
KADOKAWAの月刊漫画誌『月刊コミックビーム』の2022年1月号~同年6月号まで連載。2022年6月に単行本が刊行されると、同年12月発表の「このマンガがすごい!2023」オンナ編で第4位にランクイン。2023年4月には、第27回手塚治虫文化賞・短編賞を受賞しました。
サウジアラビア編では、“結婚”に人生を左右されることに疑問を持つ少女。モロッコ編では、“教育”の機会を奪われる不合理を知った少女。インド編では、“貧しさ”ゆえに尊厳を貶められる少女。日本編では、夫と離婚した母を見て“幸福の在り方”を考える少女。
アフガニスタン編は、女性たちのいつでも自由に外を歩きたいと願う“希望”がテーマになっています。また、イスラム主義勢力・タリバンによる暴力支配を取り扱い、国そのものの苦境にも焦点を当てていました。
このように各編の軸になるテーマは異なりますが、「女だから」の一言で、自由に生きられない女性たちが登場する点は共通しています。
以下からサウジアラビア編の「サッカーボールを蹴飛ばす日」を取り上げて、より深く本作の内容に迫りたいと思います。ネタバレも含むので、未読の方はご留意ください。
ボールを思い切り蹴飛ばしたい、サウジアラビアの少女
「サッカーボールを蹴飛ばす日」の主人公は、病院で事務をしている母と医者の父との幸せな家庭で、金銭的に不自由のない生活を送る10歳の少女・サルマです。
ミサンガづくりに熱中しているサルマは、父から「良い先生がいる」ということで、アミーラなる女性を紹介されます。アミーラは颯爽と車を運転し、孤児院のボランティアで子どもたちのお世話をしている女性でした(サウジアラビアでは2018年6月に女性の自動車運転が解禁)。
アミーラに好印象を抱いたサルマは何度か彼女に会いに行くうちに、母の様子が少しだけおかしいことに気づき、やがてアミーラが父の第一夫人で、母が第二夫人であることを察します。父が週末にしか帰ってこないのは、アミーラに会いに行っているからだ、と。
その後、サルマは母に「アミーラのことが嫌いか」と問います。すると母は、サルマに語るのでした。
父とアミーラとの結婚は、2人の親同士が決めたこと。父がアミーラの素質を見抜いて、大学進学と留学の費用を出したこと。
父とアミーラの間に子どもができなかったため、アミーラの進言もあり自分が第二夫人として迎えられたこと(サウジアラビアでは、不妊を理由に第二夫人を迎えるのは一般的な感覚だそう)。
最初の結婚が破談して途方に暮れていた時に、父との縁談をもらったのはとても幸運だったこと。アミーラが離婚を望まなかったのは、離婚すると暮らしに困り、孤児院のボランティアが続けられないという理由があったこと。
そして、今はサルマもいて不自由もなく幸せに暮らせている、と──。
サルマは母とアミーラの境遇を聞いて、「わたしたちは結婚しないと生きていけないの ママ?」と胸の内で問いかけるのでした。
友人の女の子は結婚に焦り、男の子とは話すこともできない
「サッカーボールを蹴飛ばす日」では、サウジアラビア人女性にとっての結婚の重要度が端的に描写されています。
前段では触れていない場面でも、友人の女の子が「結婚相手がいない」と焦っていることや、昔よくサッカーをして遊んだ男の子の友人と今では気軽に話すことさえできない現実(サウジアラビアでは親族以外の男女は親しくできない、そもそも恋愛結婚ができない)に、サルマは悩んでいます。
そして終盤、いつか父の勧めるアメリカへの留学を果たしたら、彼の地ではヒジャブ(髪に巻くスカーフ)で顔を隠さなくても、サッカーボールを蹴って男の人にパスを出しても誰にも非難されないのだろうかと、サルマが物思いにふけるところで幕を閉じます。
10歳の少女が抱える悩みとしては大きすぎるし、悩みの根本はサルマが女性であることに起因しているのですから、なおさら重い。サルマはあくまでフィクションの存在ですが、サウジアラビアのどこかに似た悩みを抱える現実のサルマがいるのだろうかと思うと、胸が塞がる気持ちです。
と、そんな感想を抱くに留まらないのが「サッカーボールを蹴飛ばす日」という短編です。それも、サルマの父にフォーカスを当てると、違った側面が浮かび上がります。
「女だから」と言わないサルマの父
サウジアラビアにおける一夫多妻制は、イスラム教の教えもあって、すべての妻に平等に接することが絶対のルールです。例えば1人に宝石を贈るなら、全員に同価値のものを贈る必要があります。
それを成立させ、サルマと2人の妻が金銭的に不自由していない。なおかつ、過去にはアミーラの大学進学と留学の費用を出している。さらに、将来的には娘を海外へ留学させることも視野に入れられるサルマの父は、非常に裕福なのだと考えられます。
また、サルマに結婚を急がせず、彼女が就きたいと話す医者や弁護士の夢を応援しており、彼女の性別で将来の可能性を狭めていません。これは、女性の将来は結婚を前提とする同国では、珍しい考え方だと言えます。
サルマは生きていく上でいつかは結婚するのだと諦念を覚えつつあるのですが、別の選択肢を選び取ることが、もしかしたらできるかもしれない。実はそういう状況に立っていることが、それとなく示唆されているのです。
読み解くほどに、物語としての深みが増す名作
以上のように、フォーカスを変えると違った見え方が浮かび上がってくるのが「サッカーボールを蹴飛ばす日」でした。他の4編にもそうした工夫がなされています。
5ヶ国の少女たちが不条理を知り、現状への疑問を覚える、一種のスタートラインに立ったところで物語が完結しているため、一見、漫画としての“オチ”は弱いようにも見えます。
しかし、実はそうではないのです。作者の鋭い洞察があちこちで光っている。それを見つけることで読後感も変わっていく。そんな短編集が『女の子のいる場所は』です。
各国の女性差別の現状を知るきっかけとしても十二分に機能しつつ、深く読み込める余地もある名作になっています。