官製の社会問題

 「こどもの日」について〈少子化を数字でかみ締める日〉と何年か前のこの欄に書いたことを改めて思い起こしている。14歳以下の人口が全国でも県内でも過去最少を更新したことを昨日の1面の記事が伝えていた▲社会の構成人員が先細りしていくことが予言されているのだから、憂うべき事態には違いない。ただ、こうも思う。この問題で“ダイレクトな危機”に直面する人のことを、実はうまく想像できずにいる▲これも何年か前の話だが、ある社会学者が「少子化問題」について「官製の社会問題だ」と指摘していた。なるほど、少子化や人口減少は、誰かの具体的な困り事として世の中に持ち上がったわけではない▲たとえば、遠い昔の狩猟・採集生活の時代には家族をつくることや家族の人数を増やすことが安心や安定に直結していた可能性がある。現代はそうではない。子どもの数が減っているのは個々のパーソナルな選択が積み重なった結果だ▲少子化がどんなに深刻でも個人にできる努力には限りがあるし、年齢によっては努力の当事者にもなれない。流行の言葉で言うなら少子化は「自分ごと」になりにくい▲少子化や人口減少を受け止めながら「次」を考える時期が来ている。1年後の「こどもの日」の新聞には、どんな記事が載るのだろう。(智)

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