【SNS特報班・防災】南日本新聞 「桜島爆発記念碑」

桜島爆発記念碑について説明を聞く児童=鹿児島市の東桜島小

■教訓生かし防災教育

 1914(大正3)年1月12日午前10時すぎ、鹿児島県の桜島の山腹から相次いで噴煙が上がった。国内で20世紀最大の噴火とされる「大正噴火」の始まりだった。激しく勢いを増す噴煙が空や海を覆い、夕刻にはM7・1とされる地震が発生した。一連の噴火で流れ出た溶岩はその後、海峡を埋め、桜島は大隅半島と陸続きとなった。

 「全島猛火ニ包マレ、火石落下シ、降灰天地ヲ覆ヒ、光景惨憺(さんたん)ヲ極メテ―」。鹿児島市の東桜島小学校の校庭に、当時の状況や教訓を記した「桜島爆発記念碑」がある。末尾には噴火10年後の「大正十三年一月」と刻まれている。

 碑文によると、数日前から地震が頻発、海岸では熱湯が湧き出した。旧火口からは白煙が上がり、当時の村長は数回、測候所に問い合わせたが「大きな噴火はない」と回答があったため、住民に慌てて避難する必要はないと説いた。だが、間もなく大爆発し、逃げ遅れた人々が犠牲になった。

 碑は「桜島の爆発は歴史に照らしても免れない」と警告。理論(情報)に惑わされず、異変に気付いたら一刻も早く避難の用意をするのが大切だ、と訴える。文面から「科学不信の碑」とも呼ばれている。

 桜島の麓にある東桜島小(児童約30人)では、碑を防災教育に役立てている。総合的学習の時間に桜島の自然や噴火の歴史を学んでおり、5、6年生は碑文を暗唱して学習発表会で披露する。地震や津波、火災を想定した年数回の避難訓練も実施。保護者への引き渡しをしたり、2~3週間島に戻れないとの想定で教材やランドセルを持って避難したりする訓練もある。

 学校は全児童用のヘルメット、ゴーグルを完備。教室や職員室には、避難体制や手順などを記した非常用持ち出しファイルがある。

 濵田智男校長(58)は「子どもたちの防災意識は高い。先人の教訓を伝える記念碑は命を守る、大切にするという教育の礎になっている」と語る。大正噴火から110年。碑に込められた願いは途切れない。

 桜島地区では2026年に8小中学校を統合した義務教育学校が開校し、東桜島小は閉校となる。濵田校長は「碑を活用した防災教育を引き継いでいけたら」と話した。

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