脳腫瘍で19歳の一人娘を失った男性「闘病の不安に寄り添えたら」…ふくい小児脳腫瘍の会立ち上げ活動 娘の経験を共有、8月にはチャリティーテニス大会

一人娘のりりかさんの遺影を前に、「脳腫瘍と闘う子どもや家族の不安に寄り添いたい」と話す父の佐治昌弘さん=4月、福井県越前市

 19歳の一人娘を脳腫瘍で亡くした福井県内の男性が、家族会「ふくい小児脳腫瘍の会」を立ち上げ、活動している。医療機関や専門医の情報、闘病中の経験などを共有し「不安に寄り添うことができたら」と力を込める。娘が打ち込んでいたテニスを通して小児がんへの理解を広げようと、今年8月にチャリティー大会を福井市内で開く。

 家族会代表を務める佐治昌弘さん(54)=越前市=の長女りりかさんは、仁愛女子高校1年だった2019年1月に脳腫瘍が見つかった。2度の腫瘍摘出手術、放射線や抗がん剤による治療に加え、未承認薬の臨床試験に参加するなど3年3カ月に及ぶ闘病の末、20歳の誕生日1カ月前の22年4月5日に亡くなった。

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 りりかさんは12歳でテニスを始め、豪快なストロークを武器に中学3年時に全国大会出場を果たしたが、この頃からプレーで原因不明の不調が続いた。仁愛女子高入学後の18年末、テニス部の合宿中に嘔吐し、越前市内の病院でMRI検査を受けた。19年1月1日に脳腫瘍と告知され、男手一つで育ててきた佐治さんは「小さい頃から活発で病気とは縁がなく、頭が真っ白になった」。

 県内の別の病院に移り、1週間後に手術を受けることになったが、容体が急変し2日後に緊急手術となった。「何の知識もなく、とにかく不安だった」。さらに、すぐ再手術が必要となり、医師から右半身と言語機能のまひは避けられないと言われた。納得のいく治療を受けようと必死で情報を探し、小児脳腫瘍の国内第一人者に相談できた。県外の専門医を紹介してもらい、「まひを残さず手術が可能」と言われた。

 佐治さんは「信頼できる医師に出会えるかどうかでQOL(生活の質)が大きく変わる」と強調する。りりかさんは紹介された専門医の下で治療に取り組み、本格復帰はできないまでも、一時は大好きなテニスを楽しんだり走ったりできたという。

 りりかさんの経験を、脳腫瘍の子どもたちや家族のために役立てようと、ふくい小児脳腫瘍の会を22年12月に設立。現在は子どもを亡くした親や闘病中の患者ら8人で、SNS(交流サイト)などを通じて情報交換や啓発活動を行っている。会のホームページ(HP)をつくり、相談コーナーも設けた。佐治さんは「脳腫瘍は種類が多く、部位によっても治療法が異なる。経験豊富な医師も少ないのが現状。地方で必要な情報を得るには、つながりを持つことが重要」と話す。

 8月24、25日に福井市の県営テニス場で開くチャリティーテニス大会「Ririka cup」は、全国から小中学生128人の出場者を募集。会場に小児がんの啓発ブースを設け、募金も行う。企業や団体、個人の協賛を募り、小児がんの啓発や研究支援に充てる考え。

 佐治さんは「小児がん患者の2~3割が亡くなっている実情を多くの人に知ってもらいたい。病気と闘う子どもたちにエールを送り、亡くなった子どもたちの生きた証しにもなれば」と話す。家族会や協賛に関する問い合わせはHP(「ふくい小児脳腫瘍の会」で検索)から。

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