芸人シベリア文太さんの軌跡…寛平師匠から「60歳で売れる」 福井県出身、持ち味のスベり芸を磨き続け

名優菅原文太さん似で、持ち味であるスベり芸の寒さが芸名の由来という、お笑い芸人シベリア文太さん=福井県福井市の福井新聞社
写真に収まる(右から)間寛平さん、シベリア文太さん、池乃めだかさん=2016年、東京・新宿の「ルミネtheよしもと」

 名優菅原文太さん似で、持ち味であるスベり芸の寒さが芸名の由来という、お笑い芸人シベリア文太(本名・玉村輝彦)さん(59)=福井県越前市出身。還暦を目前にした今も「お金よりもしたいこと」と東京・新宿の劇場に立ち続ける。「お笑いで食えたらこんな楽しい仕事はない。私? 食えてませんよ、食わず嫌いだから」。玄人好みの寒さはすごみを増すばかりだ。

 幼少期から同級生を笑わせていた。「王(貞治)選手や長嶋(茂雄)選手をまねしてね。(母校の越前市)花筐小に面白いやつがいるって、隣の岡本小にも知れ渡っていた」という。髪形を角刈りにした福井高専時代に菅原さんに似ていると言われ、当時、菅原さんが冷蔵庫のCMで「時代はパーシャル」と叫んでいたことから就職先でのあだ名は「パーシャル」だった。

 会社員時代は連日残業。「お金はもらえたけどつらい。それならしたいことをしよう」。1986年に吉本興業のオーディションに挑戦。菅原さんをまね「吉本興業の盃をください」。どっと笑いが起きた。「(芸人人生の中で)その時の笑いはまだ越えられていない」と遠い目をする。

 新喜劇の研究生をしながらダウンタウンらが活躍する「心斎橋筋2丁目劇場」で「菅原文太一発ギャグシリーズ」で舞台に立った。当時の新喜劇は漫才ブームに押され停滞気味。シベリアさんは拠点を福岡、東京へと移す。上京で頼ったのが新喜劇で共演した間寛平さんだった。「寛平師匠は、せりふがない私に本番で突然『後ろにいるのは誰や』と話を振ってくれて。それで『菅原文太じゃけん』と言うと客にウケた。優しい師匠」と振り返る。

 間さんの東京での付き人を99年秋まで7年間務めた。当時、間さんの愛車は神戸ナンバーのベンツ。「運転手の僕は角刈りで“あっち”の人に見えたみたい。渋滞中でも車線変更はスムーズでした(笑)」。間さんの紹介をきっかけに島田紳助さんと知り合い、関西の人気テレビ番組「クイズ!紳助くん」にレギュラー出演。現在は、新宿の劇場「ルミネtheよしもと」で間さんや石田靖さん、ほんこんさんらと新喜劇に出演する。

 間さんからは「文太は60歳で売れる」とお告げのような言葉。「その前は『40歳で売れる』と言っていたし、今は『75歳で売れる』って。根拠ないでしょう」とシベリアさんは突き放すが、弟子を気にかけてくれる師匠からの言葉にうれしそうだ。スベり芸のシベリアさんは「(客が)笑いをこらえている姿を見るのがたまらない。笑うと恥ずかしいっていうネタですから」と自虐的に笑う。2026年で芸歴40年。「師匠みたいにネタもキャラも磨いていきたい」と誓う。

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