エジプトで広まる「日本式教育」  イスラム圏の教育事情について その2

林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・エジプトでここ数年特別課外活動=「TOKKATSU」が広まっている。

・アッ=シーシー大統領が来日し、感銘を受けたのが「特活」だった。

・自分たちで校舎の掃除をすることによって、学校に対する愛着が深まった小学生が増えている。

エジプトの学制は日本と同じ「6・3・3・4制」であると、前回述べた。

実は韓国もまったく同じで、このことは旧知の韓国人ジャーナリストから聞き、その人と一緒に作った『僕は在日〈新〉一世』(ヤン・テ・フン 取材・構成 林信吾 平凡社新書)という本の中でも紹介している。

ただ、日韓の場合は第二次世界大戦、日本は占領下、韓国も事実上、米国による統治下にあった中で、戦前の学制を再構成(旧制中学→新制高校など)した歴史があるわけだが、エジプトがどのような経緯で同じ学制になったのかについては、残念ながら詳しい資料を見つけることができなかった。

おそらく、この学制が一番よい、とされた理由が、なにかあったのだろう。

もっとも、はるか中東の国のこととて、学制が同じだと言っても、それは年限だけの話で、制度上の違いは結構大きい。

たとえば、欧米と同様に9月新学期で、もう少し具体的に述べると、9月下旬から6月上旬までの学年となっており、おおむね前期・後期の2学期制だが、クウォーターと称する4学期制を採用している学校もある、という具合だ。夏休みが3ヶ月以上もあるわけだが、厳密には学校によってまちまちであるらしい。

さらには、イスラム圏では金曜日が集団礼拝の日で、キリスト教文化圏の日曜日に相当することから、授業は日曜日から木曜日まで。

例によって余談にわたるが、2019年に改正されたエジプト憲法においては、信仰の自由を保障する、との条文はないものの、社会通念として信仰や宗教行事の自由は認められている。したがってミッション系の学校が日曜日に授業を行わなくとも、違法ではない。

ただし、宗教団体による政治活動などは事実上禁じられているし、イスラムへの強制改宗などの人権問題は後を絶たない。

小学校に話を戻して、給食は未だ普及していないが、昔から「スナックタイム」が設けられている。2時間の授業を終えた後、校庭の隅に出された売店で買い食いしたり、家から持参した菓子を思い思いの場所で食べるのだ。学校によっては校舎内での「移動販売」まであるとか。

小学校6年と中学校3年の計9年が義務教育、という点も日本と同じだが、公立の学校以外に、もっぱら英語やフランス語で授業を行う、ランゲージスクールと呼ばれる私立校も相当数あって、それらはおおむね、小学校から高校までの一貫教育を行っている。

大学にも、いわゆるミッション系の私学があって、代表的なものとしてカイロ=アメリカン大学の名を挙げることができる。プロテスタント系の学校で、国籍を問わず志望できるが、米国籍の人が優先的に入学できるとも聞く。小池百合子・現東京都知事も、最初この学校でアラビア語を学んだという。

大学教育についてさらに言うと、エジプトの国立大学の学費は、世界水準に照らしても意外と安く、かつ結構充実した奨学金制度もあるので、経済的にゆとりのある家の子弟しか進学できないという話はあまり聞かない。

再び公立小学校のカリキュラムに話を戻すと、もちろん学年ごとに変わるが、おおむね国語(=前回紹介した、標準アラビア語)、算数、理科、エジプト史、英語、そして宗教の授業がある。

生徒と言うよりは国民の95%がムスリムだという事情を反映したもので、礼拝の仕方などごく基礎的なことは幼児期から家庭で教わるが、小学校では日常生活における宗教上の注意点であるとか、モスクでの礼儀作法といったことを学ぶ。

宗教について学ぶ、と一口に言っても、大まかに分けて教義の部分と行事・慣習の部分とがあって、エジプトの小学生が学ぶのは、もっぱら後者である。日本の小学校における「道徳」の授業と似たようなものと考えれば、そう大きな間違いにはならないだろう。

そして特筆すべきは、ここ数年「TOKKATSU」が非常な勢いで広まってきていることである。

日本で、小学校時代の思い出として共有されている「特別課外活動=略して特活」のことで、具体的には学級会、日直、掃除当番、給食当番といったところだ。

2014年に就任したアブドルファッターフ・アッ=シーシー大統領(第6代。現職)が、16年にアジア歴訪の一環として来日し、日本の小学校を見学したが、その際、もっとも感銘を受けたのが「特活」であったそうだ。

もともとこの人はエリート軍人で、エジプトの陸軍士官学校から、英国の統合し起爆両大学、米陸軍戦略大学に留学し、後者からは修士号も授与されている。

信仰にも篤く「軍制とイスラム主義のハイブリッド型統治」をとなえていた。

2013年に無血クーデターによって、ムスリム同胞団などの支持を受けていたムハンマド・ムルシー前大統領から権力を奪ったが、翌14年の直接選挙を経て大統領に就任している。反対派への弾圧など強権ぶりへの批判がある一方、支持率が比較的高いのは、経済と治安を回復させることに成功したからだと言われている。

そのようなシーシー大統領は、エジプトの公立学校が直面していた教育問題、具体的には教室の過密と教員のトレーニング不足による授業レベルの低下、さらには暗記と試験対策への偏重(!)の結果としての、生徒の学習意欲の低下を憂えており、学業だけでなく、まずは教室をよりよいコミュニティーにして、その精神を学校外にも発信してゆくべきだ、との観点から、日本の「特活」に着目したのである。

そして、現地日本人学校や日本の教育関係者らの協力も得て、生徒たちが自ら校舎の掃除をする「TOKKATSU」が始まった、というわけだ。

以前、ワールドカップ・カタール大会に際して、日本のサポーターが観客席のゴミ拾いをしたことに対して、美談ではない、などと発信した人たちがいた。

欧米でもイスラム圏でも、清掃など社会的地位の低い人の仕事だと見なされがちなので、サポーターがそんなことをすれば、かえってバカにされる、という主旨であったが、実は、エジプトの小学校で「TOKKATSU」が導入された際にも、とまどいを隠せなかった父兄が結構いたらしい。

ワールドカップ・カタール大会の時と同様、清掃業者を失業の危機に追いやって、なにが社会のためか、といった声も一部からは聞かれた。

けれども案ずるより産むが易しで、幾度かの意識調査によって、自分たちで校舎の掃除をすることによって、学校に対する愛着が深まった、という小学生が増える一方であることが分かり、父兄の評価も改まっていったのである。

今や、イスラム圏の他国、具体的にはUAE(アラブ首長国連邦)などでも、日本人学校に現地人の子を入学させて欲しい、といった声が聞かれるそうだ。

もちろん、こうした事実があるからと言って、日本の学校教育こそは世界最高水準、などと主張するのは短絡というものだ。

教育環境やシステムは、生徒の全人生を左右しかねない側面を持つものであるから、賞賛ばかりでも批判ばかりでもいけない。

なによりも、実際のところをちゃんと調べて、評価はそれから下すべきである。

次回、日本でよく誤解されるイスラム圏、特にパレスチナの教育事情について見る。

【取材協力】

若林啓史(わかばやし・ひろふみ)。早稲田大学地域・地域間研究機構招聘研究員。京都大学博士(地域研究)。

1963年北九州市生まれ。1986年東京大学法学部卒業・外務省入省。

アラビア語を研修し、本省及び中東各国の日本大使館で勤務。2016年~2021年、東北大学教授・同客員教授。2023年より現職。

著書に『中東近現代史』(知泉書館2021)、『イスラーム世界研究マニュアル』(名古屋大学出版会)など。『世界民族問題辞典』(平凡社)『岩波イスラーム辞典』(岩波書店)の項目も執筆。

朝日カルチャーセンター新宿教室(オンライン配信もあり)で7~12月、博士の講座があります。講座名『紛争が紛争を生む中東』全6回。5/17より受付中。詳細および料金等は、同センターまでお問い合わせください。

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