バレエ団、最年長ダンサー、ロバート・カーターとバレリーナ芸人松浦景子による、バレエと笑いをめぐる真剣対談!【後篇】

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創立50周年記念!世界中から愛される男性だけのコメディ・バレエ団

トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団2024年日本公演特集

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“誰もが気軽に楽しめるバレエ”をモットーに、ニューヨークで1974年に旗揚げされた男性だけのコメディ・バレエ「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」が2年ぶりに来日! バレエ界のアカデミー賞と呼ばれる「英国批評家協会ダンス賞」最優秀賞を受賞するなど、確かな技術を持ちながら、通常のバレエ公演ではあり得ないコミカルな演出で観る者を魅了。世界中で愛され続ける“トロックス”の魅力を紹介します。

第2回:バレエと笑いをめぐる真剣対談!【後篇】
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第2回:INTERVIEW&SHORT MOVIEバレエ団、最年長ダンサー、ロバート・カーターとバレリーナ芸人松浦景子による、バレエと笑いをめぐる真剣対談!【後篇】

トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団のダンサー、ボビーことロバート・カーターと松浦景子のふたりのバレエ対談。後編は、死にゆく白鳥の儚さを描いたミハイル・フォーキンの『瀕死の白鳥』、そのトロカデロ・ヴァージョンについて、お互いの18歳の頃についてなど、様々な話題が飛び出した。

人気のトロカデロ版『瀕死の白鳥』の秘密

── ボビーさんが動くと、その度にチュチュからひらひらと白鳥の羽根が落ちてきますが(笑)、これはどういう仕組みなのですか。

ボビー それは企業秘密。でも──、今回は特別に教えちゃいます(笑)。通常のチュチュはチュールが何枚も重ねて縫われているのだけれど、これは1枚1枚が分かれていて、その間に羽根を挟めるようにしてあるんだ。それで、パ・ド・ブレで進んでいくと徐々に羽根が落ちる。踊った後は、床に散らばった羽根を集めてまたチュチュに仕込むんです。あ、僕が集めるわけではないけどね(笑)。

松浦 こうして羽根が落ちていくイメージは、どなたがどんなふうに考えられたのか、めちゃくちゃ気になりますね。

ボビー 『瀕死』は僕がカンパニーに入る前から上演されていたので、当初この作品を踊った人のアイデアだったのか、チュチュを作っていた人なのか、わからないんですよね。

── 松浦さん、『瀕死の白鳥』に挑戦されるご予定は?

松浦 えっ、私? 私が『瀕死』を!? いや、私がやったらヒヨコになってピヨピヨしちゃいそうです(笑)。女性ダンサーにとっては本当に難しい役柄ですし、トウシューズでの動き、ポワント・ワークが大変なうえに、上半身は細胞から集中して向き合わないといけない作品。それを長い間踊られてきたというのは、本当に大変なことだと思います。

ボビー 毎回、どうしたら向上できるのか、いつも振り返って考えているんです。

松浦 どうやって女性ダンサーとしての動きを研究しているのかも、気になります。

ボビー 僕はユーリー・スミルノフという名前で男性役も踊っています。以前は『海賊』や『ドン・キホーテ』なども演じていましたが、現在、男性役として踊っているのは『白鳥の湖』のロットバルトだけで、オルガ・サポーツォヴァという名で女性ダンサーの役柄を踊ることのほうがより多く求められています。女性役については、とくにひとりのバレリーナからインスピレーションを得ているわけではありません。いろんなダンサーのいろんな演目を見て研究するんです。また、毎回同じではつまらないですから、ところどころにちょっとした変化を加えてもいます。

松浦 よくお客さまから「綺麗って言われるのと、笑い声と、どちらが嬉しいですか?」って聞かれるんです。私はもちろん、両方とも嬉しいのですが、実際は笑い声が70%くらいだと嬉しいなって感じます。トロカデロの皆さんはどんな感覚でいらっしゃるのですか。

ボビー 僕も同じような感じだな。お客さまの反応って、メンタルにも影響しますよね。でも、お客さまが僕たちに指示を与えて導く、という状況にはなりたくない。自然に反応して笑ってほしいという思いがあります。何度も公演に来てくださっている方にとっては、ある程度期待に沿った舞台になるかもしれませんが、時にはサプライズ感もある。お客さまがサプライズされているな、って感じる時は、こっそりひとり笑いしちゃいます(笑)。

松浦 勉強になります。影響されます!

ボビー いい影響だといいね。

── 今回の日本公演では、「18歳以下のお子様無料ご招待」が実施されます。それにちなんで、おふたりの18歳の頃についてお聞かせください。

ボビー 18歳の頃、僕はフロリダのカンパニーで踊っていました。そこには南米、とくにキューバ出身の素晴らしいダンサーが何人もいたので、とても贅沢な環境でした。残念ながらそのカンパニーは経営難からの立て直しがうまくいかず、1年未満しかいられなかったのですが、その後、ニューヨークのハーレムで踊り、夜にホテルのフロントでアルバイトをし、昼間はバレエのクラスに行く、という生活もしていました。南部出身の若いブラック・アメリカンがクラシック・バレエの世界で踊っていくのは、決して簡単なことではなかったけれど、全てのことには何かしらの理由がある。結果的にいま、こうしてここに自分の居場所を見つけることができたのです。

松浦 私の18歳──高校3年生の時は、毎日進路について迷いまくっていました。バレエへの愛が一番薄い頃でした。バレエをやめようかとも思いましたが、母がこれまでの月謝分をパーにするくらいなら、何でもいいからバレエの仕事に就きなさい、バレエのバの字でもいい、小指だけでもいいから突っ込んで!という考えで(笑)。

── でも、その後もバレエは続けられました。

松浦 バレエコースのある芸術大学に進学したんです。入試の時、全国のすごく踊れる子たちが勢揃いしていて、かつ、学校には劇場もある。すごくいい環境だったんですね。そこに行っていなければ、いまもうバレエはやっていなかったと思うし、18歳は人生の中の大きな分岐点でした。

女の子にとってバレエがしんどくなる時期──。それをよく知っているので、いま、この記事を読まれている人で、18歳くらいで「バレエしんど」って思っている人がいたら、絶対トロカデロの公演を観るべきです。バレエっていろんな方向から入っていいんだということをお伝えしたいです!

── そんな18歳以下の方々を含めて、読者の皆さまにメッセージを。

ボビー 皆さんぜひ公演にお越しください。美しい踊りもあればお笑いもあり、人間のいろんな感情に触れることができると思います。僕たちの舞台ではセリフはないけれど、ユニバーサルに伝わるものがあります。皆さんを素晴らしいひとときにお招きしたいと思います。

松浦 もう、この記事をご覧になっている方は絶対、観てください。何か自分の中でひとつ、気持ちが変わるのは間違いないです。私がそうでしたから! 人生変わります!!

取材・文:加藤智子 撮影:You Ishii

これであなたもトロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団の一員!?

ボビー直伝! “トロカデロメイク”に松浦恵子が挑戦!

インタビューを終え、すっかり意気投合したところで松浦さんがボビーに“トロカデロメイク”をリクエスト! 果たして仕上がりは・・・・・・!?動画をチェック!

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