高峰桜の絆、輝き再び 米首都のパネル修復 高岡の顕彰プロジェクト働き掛け

修復されたパネル=4月(在米日本大使館提供)

 高岡生まれ、金沢育ちの世界的化学者、高峰譲吉博士の尽力で桜が植えられた米ワシントンのポトマック川沿いで、歴史を伝えるパネルがリニューアルされた。パネルには苗木の寄贈で功績のあった高峰博士ら日米の4人が紹介されているが、経年劣化で一部が見えなくなっていた。博士を顕彰する高岡のプロジェクトメンバーが働き掛けて米の国立公園局が修復し、日米の絆で輝きを取り戻した。

 働き掛けを行ったのは、高峰譲吉博士顕彰プロジェクト(高岡市)で、在米日本大使館などの協力で修復が実現した。プロジェクトメンバーの一人で、高岡商工会議所伏木支所長の大井克宏さんが昨年10月にポトマック川沿いを視察した際、激しく劣化しているパネルの状態に気付いた。

 パネルは縦約60センチ、横約90センチの横長で、1912年に日米友好を願って当時の東京市から約3千本の苗木が贈られた経緯が記されている。高峰博士と桜の植樹を提唱していた米国人紀行作家エリザ・シドモア、尾崎行雄東京市長、植物学者のデヴィッド・フェアチャイルドの功績者4人が写真とともに紹介されている。

 大井さんは在米日本大使館に連絡し、知人の内閣府職員も直接国立公園局に掛け合い、3月には新しいパネル図案が製作された。米首都の風物詩となっている「全米桜祭り」期間中の4月上旬に、元の位置から400メートル近く離れた場所に移設された。大井さんによると、パネルの現在地は祭りの開会式が行われる会場付近で従来の場所よりも人目につくという。

 ポトマック川沿いは桜の名所として知られ、祭り期間中は日本関連の多彩な催しが続く。今年は3月23日に開会式が行われた。桜は日米友好の象徴となっており、子孫が高岡古城公園など富山、石川に里帰りして植えられている。

 大井さんは日米の絆でパネルがリニューアルされたことに「ささやかな活動だが、両国の絆を未来につなげる動きだ。100年以上前の絆が今も受け継がれている」と振り返った。

 ★高峰譲吉(たかみね・じょうきち) 1854年、高岡市で生まれ、翌年から約10年間を金沢で過ごした。36歳で渡米し、消化薬「タカジアスターゼ」の発明や止血作用があるホルモン「アドレナリン」の結晶化などの業績を残し、研究者の育成や日米親善にも力を注いだ。黒部川では電源開発構想を掲げ、現在の宇奈月温泉につながっている。

© 株式会社北國新聞社