パリ郊外の治安の悪いエリア一掃を目論む行政と、それに反発する住人たちが衝突。"排除"と"怒り"の衝突を描いた『バティモン5 望まれざる者』はパリだけの問題ではない

『バティモン5 望まれざる者』の“バティモン5”とは、パリ郊外の再開発対象エリアの10階建て居住地の通称。そこに住む住人たちを追い出したい行政と住人たちの対立を描いた『バティモン5 望まれざる者』。ラ・ジリ監督は前作『レ・ミゼラブル』(2019年)でもパリ郊外の犯罪多発地区での少年たちと犯罪防止班の対立、衝突を描き、第72回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。『バティモン5 望まれざる者』と『レ・ミゼラブル』は軸となっているテーマや、フィクションでありつつノンフィクションのようなリアリティは共通しているが、『バティモン5 望まれざる者』は群像劇と言っていいほど一人一人のキャラクターが活きている。

パリ郊外。どんよりした空からの空撮で、何棟か立ち並ぶ老朽化した団地、バティモン5が映し出される。そこは主に労働者階級の移民たちが暮らす。団地の中は主にアラビア語だろうか? いくつもの言語が飛び交っている。とある一家で祖母が亡くなり葬儀が行なわれている。狭い部屋には祈りに駆け付けた人々。棺を外に出そうにもエレベーターの故障は何年も修理されず、狭い階段を「気を付けろ」と言い合い運び出す。空からの俯瞰から、団地の中、生活の中へとグイッと入っていく。見事な導入だ。

一方で行政側は、市長が急死し新しい市長を早急に決めなければならない。市議会議員ではあるが本職は小児科医、政治的なしがらみに染まっていないクリーンなピエールが臨時の市長となる。ピエールは街を安全でクリーンにしたいと強い理想を静かに持つが、自分の生活範囲である富裕層しか知らない。自分が知る範囲の層の安全を守りたい。白人のピエールが市長に祭り上げられ、面白くないのは黒人の叩き上げの副市長ロジェ。移民たちと行政の間をとりもってきたと自負するロジェは、その実、汚いこともやってのけてきたであろう。

バティモン5に暮らすマリ共和国にルーツを持つフランス人アビーは、移民たちのケアスタッフとして働く、皆から信頼される若い女性。行政の怠慢な態度に意見もする一目置かれた存在である。アビーの親友のブラスはアビーと協力し住人をサポートするが、行政には怒りと絶望、諦めを感じ、暴力的な行為も辞さない。本作の主人公のアビーはマリにルーツを持つ設定だが、ラ・ジリ監督もマリ共和国に生まれパリに移住した人物だ。

それぞれの立ち位置の違いによる摩擦、隔たり、分断。権力の側でも与党と野党の隔たりがあり、移民たちの間にも隔たりが生じる。大抵が権力側によって作られた隔たり。権力側は自分たちの都合で移民たちを扱う。行政と移民たちの間に更に大きな分断が起きていく。クリーンな街にしたいと理想を持っていたピエールは、いつしか移民排除しか見えなくなり、突き進んでいく。アビーは人権が侵害されていくことに心を痛め、市長への立候補を決意。若者たちを中心にしたアビーの選挙活動が、イキイキと楽しく、このシーンだけは希望に満ちている。

しかしある事故をきっかけに、行政は本格的に団地を壊し移民たちの追い出しに動き出す。ある事故が起き、その後、行政と警察が団地に押し寄せ、「5分で出て行け!」と叫びながらドアをノックする。驚き、慌てる住人。更に起きる悲劇。このスピード感ある流れに息を吞む。スピード感の中にも、移民たちそれぞれの生活ぶりが見てとれる。ラ・ジリ監督は政治や社会を描きながら、その内側の生活を徹底して描いている。一人一人の人間を描いている。社会や政治の中で、人間は生きているのだ。

登場人物のそれぞれの行動にはそれぞれの理由がある。いや、理由というより都合か。 映画を観ながら、自分も自分の都合でしか生きていないのかもしれないと思わされる。

パリだけの問題ではない。2024年はパリで五輪が開催されるが、東京でも2021年、五輪のために立ち退きを強いられ取り壊されたアパートがあった。そして入管難民法改正案の中には永住資格取り消しの新制度も盛り込まれようとして反対の声が上がっている。格差、差別はなくならない。 だからこそアビーの「諦めるのはもうやめよう」という言葉がグッと胸に響く。(Text:遠藤妙子)

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