朝山正悟、悲願のBリーグ制覇で「最高」の終止符…20年の現役生活は「一つひとつが財産」

◆■「感慨深い」最高の花道

試合終了まで残り1分半を切った。スコアは60ー46。広島ドラゴンフライズの初優勝が刻一刻と迫るなか、朝山正悟の脳裏には様々な思い出が走馬灯のように駆け巡った。

「1分半がすごく長く感じてですね、 いろんなことを自分の中で考えていました。最後に(ブザーが)鳴った瞬間は『本当に優勝したんだな』と実感した瞬間でしたね」

『日本生命 B.LEAGUE FINALS 2023-24』の運命のGAME3、広島は琉球ゴールデンキングスを65ー50で破りワイルドカードからの初優勝を達成。開幕前に今シーズン限りでの引退を発表した42歳は、この上ない結末で現役生活を締めくくった。

『日本生命 B.LEAGUE CHAMPIONSHIP 2023-24』の組み合わせと広島が勝ち進んだ歩みは、まるで朝山のために用意された花道だったようにも思える。

同じブロックに入ったのは三遠ネオフェニックス、名古屋ダイヤモンドドルフィンズ、シーホース三河。この3チームの前身はいずれも朝山が所属していた古巣だ。三遠とのクォーターファイナルでは、広島の創設期をともに支えた大野篤史ヘッドコーチとの“師弟対決”も実現。そして、初めて辿り着いたBリーグファイナルの舞台は、自身の地元・横浜だった。

「自分が在籍したチームと戦って勝ちあがってきて、自分が競技を始めたこの地で最後を終えることは本当に感慨深いものがありました。バスケットを最後の最後の日までできた上で、最高の景色を見て終われることは本当に最高のことだと思います」

◆■「一生忘れることはない」歴史に刻んだ栄光の1ページ

中央で優勝トロフィーを掲げる広島ドラゴンフライズの朝山正悟[写真]=兼子愼一郎

朝山が広島に加入したのは、クラブが発足してまもない2015年。「僕が広島に来た当時は“ミスターバスケットボール”と呼ばれる佐古(賢一)さんがヘッドコーチで、竹内公輔(現・宇都宮ブレックス)もいました。そういう(有名かつ実績のある)人たちがいた中でも、会場に来てくれるお客さんは500人、600人くらいのレベルでした」と回顧する。

広島は1年目からNBLでプレーオフ出場を果たし、2015年の天皇杯では準優勝の成績を収めた。だが、2016年にBリーグが誕生した時はB2からのスタート。「自分たちの成績というよりは、どちらかというとクラブの経営面を判断されての振り分けだった」と朝山は言う。2017−18シーズンには成績不振により、当時の指揮官が解任。朝山が急遽ヘッドコーチ兼選手に就任するという異例の事態が起きたこともあった。

「何かアクションを起こしても上手くいかず、ヘッドコーチを兼任でやらせてもらったり、クラブが傾きかけたり当時は苦しいことばかりでした。けど、そういった一つひとつの経験が、今の自分自身もそうですし、チームの財産にもなっているのかなと思います」

横浜アリーナのお立ち台に立った大ベテランは、会場を朱色に染めたブースターの前でこうも話した。

「今日会場に来てくださった方の中にも、B2時代やクラブが立ち上がった当初の苦しい時期を支えてくださった方もたくさんいると思います。本当にこのクラブに携わった全ての人たちの想いやいろんなものがつながって今日のこの場があると思っていますし、本当に感謝しかありません」

現役生活最後となった20年目のシーズンは、全68試合のうち16試合に出場して合計6得点。チャンピオンシップでは1秒もコートに立てなかった。それでも、常にコートに立つ準備を怠らず、「自分ができることを」とベンチから大きなジェスチャーを交えながら声を張り続け、誰よりも周りを鼓舞し、時にはチームメイトを落ち着かせた。

「最高以外の何ものでもない」

「この光景を一生忘れることはない」

「最高のバスケット人生でした」

喜びを表現する言葉は取材が終わるまで尽きなかった。王者だけが手にすることができるリングネットを握りしめ、朝山正悟は終始無邪気に笑っていた。

断言できる。この男がいたからこそ、広島ドラゴンフライズはBリーグの頂点に立つことができた。

取材・文=小沼克年

© 株式会社シーソーゲーム