川崎沖縄県人会100周年 文化でつながり後世へ 会員数200世帯に回復 川崎市川崎区・川崎市幸区

金城宏淳さん。県人会での活動は半世紀近い

沖縄県人会として全国で最も歴史が古い「川崎沖縄県人会」が今年、結成100周年を迎えた。時代と共に「県人会」という枠組みが求心力を失う一方で、沖縄文化を愛する人々でつながる形へと舵を切りつつある。

かつて工場地帯が広がっていた川崎区中島に「沖縄県人会館」はある。1994年に再建された3階建ての建物には、立派な舞台を備えた宴会場や、鏡の前で舞踊の稽古ができるホールがある。

3階の事務所に歴史が詰まったアルバムが並ぶ。「昔はね、県人会で家族連れでバスで旅行にも行ったね」。会長の金城宏淳(こうじゅん)さん(74)は、40人ほどが並ぶ旅先の写真に目を細めた。

ピーク時の会員は250世帯近かったが、時代と共に会員が減り、一時期は200世帯を割りこんだ。だが、コロナ禍後の「沖縄ブーム」の影響で増加傾向が続き、約200世帯まで回復。新たな会員の多くが、沖縄文化に魅了された川崎や首都圏の人々だ。

「今は沖縄出身者以上に、沖縄が好きな人たちの方がエイサーや三線を熱心にやるよね」と金城会長。県人会館に事務局を置く「川崎沖縄芸能研究会」副代表の前田利恵子さんも「300人以上いる会員の7割が川崎や東京の人たち」と言う。

「互助会」需要薄れ

県人会は、1919年に川崎に開設された紡績工場に出稼ぎに来た沖縄の人々が互助組織として1924年結成した。言葉や生活習慣の違いを協力して乗り越え、沖縄の「本土復帰」を願って川崎から声を上げるなど、川崎に暮らす沖縄人のよりどころだった。

しかし時代と共に「互助会」へのニーズが薄れ、働き盛り世代の会員離れが進んだ。そのため2021年、前会長のもとで「川崎沖縄ファンクラブ(KOFC)」が発足。代表を務める友利充秀さん(50)は宮古島出身。高校卒業後に専門学校に通うため沖縄を離れ、川崎で暮らす。

いまファンクラブ会員は40人ほどで、半数以上は沖縄出身以外の人々という。友利さんが企画する音楽イベントやSNSで親睦を深めつつあるものの、友利さん一人では十分な情報発信やイベント企画ができていないのも現状だ。友利さんは「沖縄が好きで、サイト運営やイベント企画とかが得意な人たちに助けてもらえるとありがたい」と訴える。

母体である県人会も、幹部の高齢化が進む。「沖縄が好きな人たちに、県人会自体に興味を持ってもらえる方法を探している」と金城さん。「先人たちから受け継いだ県人会を、どんな形ででも後世につなぎたい」。

川崎沖縄県人会の問い合わせ先は【電話】044・233・8584。

© 株式会社タウンニュース社