NEE くぅ、どうしようもない世界に灯した希望 “貴方の痛み”に寄り添い続けた切実な歌

5月20日、NEEのギター&ボーカル・くぅが5月12日に逝去していたことが発表された。享年25。あまりにも早すぎる死だ。彼の体調不良によりフェスへの出演をキャンセルすることがアナウンスされたばかりだったが、きっとまたすぐにステージに帰ってきてくれると信じていた。間違いなく、今年の夏はNEEにとって、さらなる飛躍を遂げるシーズンになるはずだったからだ。悔しくてたまらない。訃報に接してからもう1週間以上経つが、「なんでだよ」という思いが消えることはない。

個人的な話をさせてもらえれば、NEEは僕にとってはデビュー当時から何度もインタビューさせてもらい、そのたびに加速度的に成長する姿を目にしてきたバンドである。その中心にいたフロントマンが突然この世からいなくなってしまった。知らせを聞いた時はショックで言葉が出なかった。まだまだ、僕はくぅの作る音楽を聴きたかった。彼がライブで見せるヒーローのような輝きをもっと目にしていたかった。ステージの真ん中でゴーグルをつけて「ボキは最強」ポーズを決める彼は、僕だけでなく、多くのファンにとって希望そのものだったのだ。

広島で暮らしていたくぅが「バンドをやりたい」という思いを胸に1人ヒッチハイクで上京したところからNEEの歴史は始まった。そして彼はネットの掲示板で大樹(Dr)と出会い、ライブハウスでバイトをしていたかほ(Ba)と出会い、ラストピースとして夕日(Gt)を迎え入れて、今のNEEになった。とても個性的なメンツ。ボカロP・村上蔵馬としても活動していたくぅの独特の作曲センス。NEEは始まりの時点から、いわゆるライブハウスのバンドシーンからはみ出した存在だった。そのはみ出しっぷりゆえに悩み苦しんだこともあっただろうが、くぅは自分が生み出す音楽を信じ、メンバーはそんなくぅのことを信じ、彼らは彼ら自身のやり方で、少しずつ世界を切り拓いていった。

結成2年目、2019年の元日に、彼らは「歩く花」のMVをYouTubeで公開した。後にインタビューした際、彼らはこのMVがNEEにとって最初のターニングポイントだったと振り返っていた。そこからNEEの名前は音楽ファンの間でじわじわと浸透し始め、ライブの動員も増えていくことになる。「下僕な僕チン」「万事思通」……今もNEEのライブで欠かせない名刺のような楽曲たちを次々と発表していく中で、2020年8月、ついに決定打となる楽曲がドロップされた。そう、「不革命前夜」である。こむぎこ2000によるアニメーションMVも話題となり、この楽曲は瞬く間に広がっていった。その後の活躍は、多くの人が知るところである。彼らはライブの規模をどんどん拡大しながらステップアップしていき、2021年9月についにメジャーデビューを果たした。

DTMに精通したくぅによるソングライティングとアレンジ(一度彼が使っているLogic Proの画面を見せてもらったことがあるが、そこには異常な数のトラックが並んでいた)、MVやアートワークなどで見せる鋭敏なセンス、そして4人のメンバーの強烈なキャラクターと真摯に観客と向き合う姿勢。NEEというバンドの魅力はたくさんある。だが、多くの、特に若いリスナーが彼らの音楽に共感し惹かれたのは、くぅがいつだって“こちら側”の存在として、世界を見つめ、世界と戦い続けてきたからだ。そしてその戦いは作品を重ね、ライブを重ねるごとにどんどんタフで確信に満ちたものになっていったように思う。

たとえば、これはいろいろなところで書いていることなのだが、僕は「月曜日の歌」の〈それに明日は/祝日なので/1人ぼっちの/僕はお留守番〉というフレーズが好きだ。どうしようもない孤独と、だからこそ感じられる希望と、そんな世界に向けられたユーモラスな皮肉。この曲を聴いたときに僕は、くぅが誰に向けて何を歌おうとしているのかがはっきりとわかった気がした。憂鬱で、生きづらさを抱えていて、それでも何とか生きているすべての人へ。くぅは自身の内面を見つめ、そんな自分を取り巻く世界に対して時に怒りを、時に嘲りを向けることで、このどうしようもない日々の中に生きるための小さな火種を灯し続けていた。

実際、「月曜日の歌」以降のNEEの楽曲は、どんどんディープに、そして大きくなっていった。「DINDON」「本日の正体」「バケモノの話」。2ndアルバム『贅沢』に結実したそれらの楽曲は、どれもズバズバと、世界の“正体”を暴き出し、くぅ自身の内側にいる“バケモノ”をさらけ出し、それによって同じような思いを抱えるリスナーたちの心とつながっていった。『贅沢』のリード曲となった「生命謳歌」には〈生命謳歌、歌います/贅沢に響かせてます/馬鹿になっても僕が歌うのは/貴方を守るため〉という歌詞がある。アルバムの最後に収められた「ごめんなさい」中で吐露されている心情もとんでもなく赤裸々で、だからこそ胸を打つ。そんな曲たちの中に刻まれている通り、くぅは自分自身をさらけ出すのと引き換えに〈貴方〉、つまり、NEEの音楽に救いと希望を見い出した人たちを守ろうとしていた。今なおあのアルバムに宿っている強い思いとエネルギーは、少しも色あせていない。

彼の死後、一部のファンが明らかにしているが、生前のくぅは、ファンからDMで届いた悩みに真正面から向き合い、返事をしていたという。その中には本当にヘビーな、受け止めるのも辛いような悩みもあったらしい。それでも彼は「ほっとけないから」と言って一生懸命返事をしていた(※1)。同じように悩みや痛みを抱えている自分だからこそ伝えられる言葉がある。鳴らせる音楽がある。それを“使命感”と呼ぶのはもしかすると美化しすぎなのかもしれないが、少なくともそういう思いが、彼が音楽を作り鳴らし続けるモチベーションの一部だった。そして、こんなことを今さら言葉にするのもとても悲しいけれど、そんな彼の思いは今もNEEの音楽の中に確かに息づいている。

彼の逝去の発表と同時にメンバーから出されたコメント、そしてX(旧Twitter)で彼らが書きつけた思いは、どれも辛くなるほど胸に迫るものだった。夕日が、かほが、大樹が、どれほどくぅを愛し、彼を理解していたのかが、その文字から痛いほど伝わってきた。くぅがいなくなったNEEが今後どうなっていくのか、それはまだわからない。だがNEEの音楽は、くぅというアーティストの意思は、これからもきっとたくさんの人を救い続けるはずだ。僕が担当した『贅沢』についてのインタビューの中で、くぅは「僕はなんやかんやで何かに希望を抱いて明日を迎えてる。希望をずっと抱きながら、ヘイトはあるけど、結局歩んでいく」と語っていた。彼はこのクソみたいな世界の中でもがきながら、それでも「俺も君たちと同じだよ」と伝え続けることで、たくさんの希望の種を撒き続けた。NEEの音楽にシンパシーを感じ、彼らに少しでも救われたと思える人は、どうかその希望の種を大事に心に留めておいてほしい。そうやって、彼の音楽を――彼が人生をかけて生み出してきたものを、ずっと生かし続け、伝えていってほしい。それは「くぅのことを忘れないでほしい」なんてセンチメンタルな思いゆえではない。NEEの音楽にはもっともっと大きなポテンシャルが眠っていると、本気で思っているからだ。

さよなら、くぅ。いつか、また会いましょう。

※1:『ROCKIN'ON JAPAN』2023年10月号

(文=小川智宏)

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