「養育費は月1万6千円です」小児がんの息子を看病する女性を絶望の底に突き落とした通告 「父の日」が襲う恐怖とは…

入院中の息子を看病する日々(写真はいずれも松本さん提供)

 妊娠中に婚約を破棄され、彼は姿を消した。生まれた息子には小児がんが見つかり、その致死率は「50%」。彼は認知をしないどころか、シンガー・ソングライターとして全国ツアーへと旅立ち、連絡は途絶えたままだ。彼の代理人から届いた通知には目を疑った。子どものDNA型鑑定を要求すると同時に「養育費は月1万6千円」という内容だった。「私にも、病気と闘っている息子にも、向き合わずに逃げ続けているのが許せない」。女性はキャリアを諦め、抗がん剤治療で過酷ながん治療に耐える息子との時間を大切に過ごしている。「父の日」が襲う恐怖と闘いながら。(共同通信=宮本寛)

 ▽のめり込む気なんて…

 東京都内でグラフィックデザイナーとして働いていた松本アイさん(仮名)は2019年、友人の紹介で彼に出会った。2021年夏、ある地方都市で開催された音楽フェスのパンフレット作成を手がけ、会場に足を運び、打ち上げで、フェスに参加していた彼と再会した。
 岩手から上京したばかりで知り合いが少ないと話す彼。連絡先を交換した。当時、彼には付き合っている女性がいた。ただ礼儀正しい友人の一人という認識だった。
 最初は集団だったが、そのうちなぜか2人で飲みたがるようになり、松本さんの家に飲みに来るようになった。自然と関係を持った。てっきり彼女と別れたのだと思い、「別れたんだよね」と尋ねると、彼はこう答えた。「もう2年ぐらい会っていない。いずれ岩手に帰るつもりだし」。煮え切らない回答に別れていないことに気付き、突き放した。「清算してから来て」
 だがその後も時折、「さっきの地震大丈夫だった?」などとたわいのないやりとりは続いた。次第に食事に誘われ、また家に来るようになった。「今度こそ清算したのだと思った」。関係はあいまいで、彼が岩手に戻るタイミングで別れればいいと思っていた。
 彼はちょうど10歳年下で、年収差も大きかった。介護のアルバイトをしながら音楽活動をしていた彼は、音楽での収入はゼロ。一方の松本さんは年収600万円。「結婚となると好きだけではできない。いい年だし、のめり込む気はなかった」

 ▽「命より大事な音楽なんかない」

 2022年6月、妊娠が判明した。避妊はしていなかった。もう妊娠はしないだろう。そう思っていた。30代半ばで妊娠、流産を経験した。「卵巣囊腫」が大きくなり、通院していたこともその理由だった。
 彼の目の前で検査薬を使い、「陽性」。すぐに病院を受診するとやはり「陽性」だった。
 報告した時の彼は絶句し、うろたえるだけだった。「どうしよう」。そしてこう告げられた。「申し訳ないけど、堕ろしてほしい」。うんとは言えなかった。体にダメージを負い、心には罪悪感を持ち続ける。なにしろ開口一番の「堕ろして」が気に障り、こう返答した。「よく考えてみる。やっぱり生みたいと思っても止めないでほしい。もう家に来ないで」。彼が許せなかった。
 だが、「堕ろすか生むかは私が決める」と伝えた直後、驚くべき言葉が返ってきた。「結婚しよう」。続けてこう言われた。「一緒に生きよう。命より大事な音楽なんかない」。うれしくて涙があふれた。そしてこう考えた。「きっとパニックで堕ろしてほしいと口走ったのだろう」
 一緒に住むところを探した。出産後に備え、それまでの1Kから2LDKへ。物件の諸経費や引っ越し代、新しい家具や家電といった初期費用はすべて松本さんが負担した。この頃、彼にこんなLINEを送っていた。「妊娠届に父親の名前を書く欄があって照れながら書いた」。返事は「てれぽよ」。つわりでつらかったが幸せだった。

「父親」とのLINEのやりとり

 7月、都内のマンションで一緒に暮らし始め、最初の1カ月は順調そのものだった。彼はライブが終わるとすぐに帰宅した。「早く生まれないかな」「いつ籍を入れようか」。ごくありふれた会話をした。

彼は子どもの名前候補を色々考えていた

 彼は「子どもの名前は何にしようか」と言っては、「女の子 凜」「男の子 朔、暖、匡…」と候補を送ってきた。
 彼は正社員になることも考えてくれた。「2人のために頑張る」と言い、「初めの年でも年収320万円はいきそう。正社員に切り替えてすぐはボーナスは低いけど。リーダーとか役職にもついたり、資格取ったりして頑張って稼ぐね」と約束してくれた。
 ペアの指輪も買ってくれた。ティファニーの一番安いものを一緒に選んだ。彼の収入を考えると、うれしかった。

ペアリング

 ▽暗雲

 いよいよ両親に会いに行くことに。だが、ここから雲行きが怪しくなる。松本さんの説明によると、経緯はこうだ。
 8月、先に松本さんの実家のある奈良へ。若く、フリーターである彼のことを親から何か言われるのではないかと心配したが、杞憂だった。誠実な態度が好評だった。
 彼はこう宣言した。「結婚して正社員になり、子どもを幸せにします」。そういえばスーツ姿は初めてだった。心配していた分、ほっとした。
 2週間後、今度は岩手へ。彼の両親は離婚していて、父親は所在不明。母親は体が弱く、北海道に住む彼の叔母が世話をしていた。彼の母と祖父母、さらに叔母夫妻とその子どもが出席した。
 「結婚しようと思います」。彼がこう切り出し、叔母も「おめでとう」。だがその直後、叔母から驚きの質問が飛んできた。「これから岩手に来て家の面倒を見てくれるんだよね?同じお墓に入ってくれるんだよね?」。松本さんにとって、岩手について行くには仕事を辞めることになる。一瞬、体が止まった。
 すると再び「仕事をやめてこっちに来てくれるんだよね?」と問われ、「今はちょっと…。やりたいことをやっているので尊重してほしいです。すぐに仕事を辞めるのは難しいです」と答えた瞬間、その場の空気が一気に変わるのを感じた。叔母がたたみかけた。「でもその覚悟で結婚するんだよね?」
 その場の空気と、つわりによるめまいで、彼を連れて席を外した。彼とは口論になった。「さっきから自分たちの都合ばかり。子どもの人生は子どものもの。こんなことなら東京から出たくない」。そのままホテルに戻った。
 翌朝、再び彼の実家を訪れると突然、「その辺、散歩してきたら?」と追い出された。
 叔父とその子どもと1時間ほど車で周囲をドライブし、戻ってくるなり彼の祖父がこう言った。「いろいろ話し合ったけど、ちょっとまだ嫁として迎え入れるのは…」「結婚は子どもが生まれてからでいいのでは」
 自分の表情には怒りの感情が出ていたと思う。それでも極力、冷静に話すことに努めた。「どういうことなの?」と彼に聞いたが、彼は口ごもるだけだった。指輪を彼に返し、すぐにその場を去った。
 帰り道、2人でさんざん話し合った。「母親の面倒を見ないとは一言も言っていない。でも今仕事を辞めて岩手に行くのは現実的じゃない」。彼の返答は「家族にも愛してもらわないといけないから」。
 帰宅後、すぐに叔母に電話した。「あなたは常識がない。順番を間違えたのにすみませんも言わない」。「順番」とは、結婚してから子どもをつくることを意味していると思われた。これ以上こじれさせてもいけないと思い、謝った。すると「結婚は2人で決めていい」と言われた。ただ、電話を代わった叔父からは理不尽な言葉をぶつけられた。「あんたのそのキレやすいところが、子どもに遺伝したらどうするんだ」

 ▽募る不信感

 彼とは何度も話し合ったが、そのたびに彼の言葉は二転三転した。
 「実家のことは気にしないで。2人を支えるのが本望だから」「俺が結婚すると決めたんだから文句は言わせない」。力強く言い切った直後、外に電話しに行き、戻ってくると「ごめん。やっぱり結婚はなしで」。
 松本さんも反論した。「はいそうですか、なんて言えない。もう堕ろせない」。すると彼は泣き始めた。「実は叔母から、結婚するなら勘当するって言われた」
 彼に自分の母親と電話させた。母は彼にこう伝えた。「大事な娘を任せると決めたし、あなたは家に来て結婚すると言った。自分たちで決めなさい」。彼の返事は「やっぱり結婚します」。
 そして再び叔母に電話した彼はやはり松本さんの母にこう告げた。「申し訳ないですが、結婚はできないです」。さすがに母も怒った。「もう話すことは何もない」

 ▽彼の逃亡、そして出産

 出産予定日を翌年1月に控えた2022年10月。結婚を巡るやりとりが平行線をたどる中、松本さんは彼に迫った。「先に認知だけでもしてほしい」。彼は「結婚がダメでも養育費は払いたいし、認知もしたい」と答えた。ただし、こう付け加えた。「叔母がDNA鑑定してほしいと言っている」
 もはや不信感しかなかった。それからはケンカばかり。そして彼は家に帰らなくなった。いつ産気づくか分からない不安を抱えながら、松本さんは一人、少し広い部屋に取り残された。12月、彼とは会えないまま、里帰りした。置き手紙には「ちゃんと話したい」と書き残した。
 クリスマスに突然彼から届いた手紙にはこう記されていた。「家を退去したので鍵を返します」「おなかの子が無事に生まれてきてくれることを祈っています」

突然姿を消した彼が書き残した手紙

 ▽致死率50%

 2023年1月。無事に出産した。
 元気で生まれてきてくれたことと、すくすく育つことへの喜びを切り裂くかのように、3月、彼の代理人弁護士から連絡があった。「養育費は月1万6千円です」。さらに「育児への協力については、申し訳ありませんが、対応いたしかねます」「このことは口外しない約束を結びたい」。松本さんはその内容に、ただただ目を疑った。

彼の代理人から届いた「養育費は月1万6000円」の通知

 それ以降、その弁護士との連絡がなかなか取れなくなり、松本さん自身も弁護士を立て、DNA型鑑定をすることに双方が同意した。だが話は一向に進まないまま、11月、息子に腫瘍が見つかった。翌2024年の3月に腫瘍摘出手術が決まったが、手術を数日後に控えたある日、彼は全国ツアーで東京から姿を消した。松本さんはこう確信した。「逃げたんだ」
 息子の異変に気付いたのは生後9カ月のこと。顔にマヒが出て、耳も聞こえづらくなっていた。MRIなど何度も検査を受けた末、「がん」と判明。手術を控えた3月に入院した。歩き始めるかなと思っていたころだった。
 検査は続いた。小児がんの中でも、1~2%しかいないとされる、まれな病気だった。「どんな病気なのか」「何かできることはないのか」。ネットで懸命に情報を探す松本さんの心をすり減らせたのは、すぐに目に留まる「致死率は50%」の文字だった。

 ▽逃げられない「父の日」

  医療費は無料だ。だが、病院に行くために仕事を休むたびに給料は減る。キャリアは諦めた。デザインの社内コンペで受賞したこともあったし「何よりこの仕事が大好きだったのに」。
 育休の関係で、2023年の年収は150万円弱だった。手取りは100万円を切った。
 自分のものは全て削った。服は3年くらい買っていない。出産や検診費用には100万円くらいかかったが、国や自治体の支援金ではとても足りなかった。子どもの食事、服、おもちゃといった生活費に加え、保育園代も重くのしかかる。保育園は非課税世帯は無料だが、松本さんの収入はその対象を超えていた。
 息子は新型コロナやインフルエンザ、アデノウイルスなどに次々と感染し、自分にもうつる。思い返せば、息子の体調が良かった日なんて一日もなかった。今では耳は片方しか聞こえず、抗がん剤治療の影響からか、もう片方も聞こえにくくなっている。

友人たちから続々とお守りが届く

 育児に追われ、一つのデザインを作るのにも時間がかかるようになった。それでも息子のせいだとは思っていない。
 ただ、恐れていることもある。息子が将来、父親のことを聞いてきたときだ。絵本にも父親クマが出てくるし、保育園の送迎をする他の子の父親も見ている。きちんと話さなければならないと思う。「父親はいるけれど、けんかをして別のところにいるんだよ」と。もし息子が傷ついたら、そのケアをしなければならない。これから毎年「父の日」が来るたびに、その恐怖と向き合わなければならない。「どこまで私にばかり責任を負わせるのでしょうか」
 息子の病気が判明し、彼の代理人とも連絡が取れないため、2023年10月、彼のEメールにこんなメッセージを送った。「3月から連絡が途絶えています。当方代理人宛てに協議書の回答をお願いします」。すると彼はX(旧ツイッター)でこんな投稿をした。「私的な内容のメールはお控えください。仕事用のアドレスなので、節度を持ってご連絡頂けるとありがたいです」

メールなどへの連絡を断る彼の投稿

 松本さんの怒りが募る理由。ネットへの彼の投稿もその一つだ。
 松本さんによると、彼は東日本大震災の被災地出身を掲げる。2024年3月、岩手県沿岸部でのライブ後にはこう記した。「繋ぎ続ける」「あの日から思いは変わらない」「今年は行けるところまで行きたい」―。
 松本さんは訴える。「息子の命を繫ぐのが先でしょ」「ただの現実逃避を飾り立てないでほしい」
 そんな思いは届かないまま、彼の投稿は今も続く。
 彼は婚約破棄の慰謝料も、出産費用や引っ越し代の折半すらも、一切支払う気配がない。まるで息子が死ぬまで待たれているような気がしている。「息子のあだを討ちたい。非人道的で、息子の命を脅かすものだと分かってほしい」

 ▽彼の反応は

 彼の代理人弁護士を通じて彼に対し、松本さんの訴えへの反応、子どもの病気への思いなどを取材しようと試みたが、弁護士事務所からの返事はこうだった。
 「何もお答えできない」

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