雲仙・普賢岳大火砕流で犠牲 仏の火山学者夫妻 元助手が語る2人の思い 長崎 

クラフト夫妻の遺体が見つかった地点近くで松島教授と話すアンドレさん(左)。奥は平成新山=3月14日、島原市北上木場町

 1991年6月3日の雲仙・普賢岳大火砕流では、世界的に著名な火山学者だったフランス人夫妻も犠牲になった。夫妻が世界中の火山を駆け巡り撮影した目的は、単なる研究心ではなく、映像や音で分かりやすく火山の危険性を啓発し、災害で失われる命を救うことだった-。夫妻の助手だったフランス・リヨン市のドゥメゾン・アンドレさん(73)が明らかにした。
 大火砕流で亡くなったのは、モーリス・クラフトさん(45)と妻カティアさん(49)=年齢はいずれも当時=。
 クラフト夫妻は、多くの報道関係者が死亡した撮影・取材ポイントの「定点」よりも、さらに普賢岳方向に約200メートル上った地点にいて、火砕流を正面から撮影していた。夫妻の遺体はそこから約100メートル下方で発見された。
 アンドレさんは1972年にクラフト夫妻と出会い、夫妻が亡くなるまで助手を務め、ハワイなどの火山の撮影に同行した。夫妻が踏査した噴火中の火山は175カ所。「とても情熱的な人たちだった」と夫妻をしのぶ。
 85年に南米コロンビアのネバド・デル・ルイス火山が噴火し、泥流にのみ込まれ2万3千人が死亡した。アンドレさんと雲仙岳災害記念館によると、クラフト夫妻は同年から、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の火山災害防止啓発ビデオの制作に携わった。
 啓発ビデオの一つ「火山災害を知る」は90年末に完成。普賢岳大火砕流の12日後に発生したフィリピン・ピナトゥボ山の大噴火では、住民1万人以上が事前避難するのに役立ったという。
 アンドレさんは「クラフト夫妻は難しい専門用語ではなく、映像や音で火山のリスクを世界中の人に伝えようとしていた」と語る。
 アンドレさんはクラフト夫妻を追悼するために、2011年に続き、今年3月14日に長崎県島原市を訪問。九州大地震火山観測センターの松島健教授の案内で、夫妻が亡くなった現場を訪れた。大火砕流から33年となった3日、島原市内の寺院で営まれた夫妻らの慰霊法要には「私の魂はあなた方と共にあります」とのメッセージを寄せた。
 大火砕流の生存者の中には、著名な学者が自分たちの前にいるから大丈夫だと考えていた、という証言もある。雲仙岳災害記念館の杉本伸一館長は「安全かどうかの判断を他者に委ねていた。災害時は科学的な知見に基づき、一人一人が危険かどうかの判断を下せるようになることが大切だ」と話している。

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