<前編のあらすじ>
かつて高校球児として甲子園を湧かせたこともある宗次(48歳)は、息子の圭太(17歳)を幼少の頃からプロ野球選手にするために心血を注いできた。
少年野球のときは自らがコーチとなり、中学では栄養バランスの取れた食事を摂らせ、睡眠時間なども徹底的に管理した。その甲斐あって、息子は高校は県内の野球強豪校へ進学し、寮生活を送っていた。
ある日、野球部の練習試合に顔を出すと息子の姿がないことに気づく。スタメンはおろかベンチにも入っていない。不審に思った宗次がそれとなく後援会のOBに聞くと、息子がすでに野球部を辞めていたことを知る。
●前編:「わが子をプロ野球選手に」元甲子園球児の父の“呪い” 親元を離れた息子がとった「仰天行動」とは?
圭太の反抗
和田に詳しく話を聞くと、圭太は新チームが始動後、ベンチ入りをすることができなったらしい。そのため、2週間前に退部をしたとのこと。
それを聞き、宗次はすぐに学校側に問い合わせると、圭太は寮にいると教えてくれた。
宗次はすぐに手続きを済ませ、寮にある応接室で圭太の到着を待った。待っている間、みやびが呪文のように落ち着いて話せと言ってくる。
みやびの言葉は耳に届いていたが、脳までは届かなかった。宗次の中で、いろいろな思いが入り乱れ、頭はパンク状態になっていたのだ。
そして寮の管理人に連れられて、圭太が現れた。
表情から覚悟を決めているように見えた。髪が伸びている。これで辞めたことは確定だ。
みやびが朗らかに声をかける。
「久しぶりね。ちょっと近くに寄ったから、あなたの顔を見ておこうと思って」
「……そう」
もちろん、圭太もそんなわけないと分かっている。
宗次は圭太をにらむ。
「辞めたんだってな、野球。どういうことだ? 何があった?」
しかし圭太は押し黙り、何も口にしない。
「けがか? それともタバコでも吸って強制退部になったのか? 俺のときもいたよ、そういう半端もんは。お前もそうなのか?」
そこでみやびが宗次の腕を握る。抑えようとしているのが伝わってきた。だが止めるつもりはなかった。
「ちゃんと説明をしろ。どういうことだ?」
「別に、いいだろ……!」
圭太は細い声で答えた。その瞬間、怒りが沸騰する。
「別にいいだと? そんな言葉でお前は済ますのか⁉」
「何だよ⁉ 俺の人生だろ、好きにさせてくれよ!」
圭太は宗次をにらみ付ける。明確な反抗だった。
今までだってないわけではなかった。それでもしっかりと会話をすれば分かり合えた。
しかし今、圭太の目にあるのは明らかな敵意だった。そうなると、宗次の怒りはさらに熱くなる。
「好きにさせてくれだと⁉ 俺が仕事で稼いで、この高校に通わせているんだぞ! 子供の分際で好きにさせてくれなんてよく言えたな⁉ 俺がどんな思いでこの高校に通わせたと思ってるんだ⁉」
「しらねえよ!」
そこで宗次は圭太につかみかかった。圭太もそれに応戦し、取っ組み合いのけんかになる。
しかしそこにみやびが割って入る。
「ねえ、お願い! けんかをしても意味ないって! お互いにきちんと話をしてよ!」
みやびは涙で声を震わせながら、訴えてきた。そこで宗次も圭太も熱くなりすぎていたことに気付く。騒ぎを聞きつけた管理人もやってきて、みやびと一緒に謝罪をした。
このままでは他の人に迷惑だからということで、場所を移すことにした。誰からも聞かれないということで、車の中で話をすることになった。
父の呪い
運転席に宗次が座り、圭太とみやびが後部座席に座った。宗次は熱くなりすぎないように、大きく息を吐き出し、口火を切る。
「辞めたのは、けがとかじゃないんだな」
「……ああ、違うよ」
「じゃあ、何でだ?」
「高校に入学したときから、もう何もかもレベルが違ったんだよ。俺はシニアでもそれなりにやれていたと思ったけど……高校では全く話にならなかった」
そんなことない、と口を出しそうになったが、宗次はぐっと堪え、話を聞く。
「シニアで俺たちが相手にならなかったやつらがベンチにいて、そいつらよりもうまいやつらがスタメンにそろってんのに夏の予選ではベスト8止まり。もう上には上が、っていうのが果てしなすぎてさ……」
「和田さんからお前の話は聞いていた。誰よりも練習では声を出して、誰よりも練習を頑張っていたってな。そういう努力っていうのはいつしか報われるものだ。お父さんだってそうだった」
「それは、みんなやってるよ。ベンチだろうがレギュラーだろうが全員ね。それでも甲子園は果てしないんだ。それで、プロってなるともう、わけが分からないよ……」
圭太は皮肉っぽく笑った。
「……そうか、そう、思ったんだな」
宗次は心にぽっかりと穴があいたような気持ちになる。
「それでもね、俺の同期のみんなは次こそは甲子園だって練習をしている。でも俺はもうそれにはついていけないと思ったんだ。だから退部をしたんだよ」
みやびは壊れないように優しく圭太の腕をさすった。
「言ってくれれば良かったのに……」
「……ごめん。お父さんがプロ野球選手になれなかった悔しさを晴らしてやろうって思ってたんだ。お父さんも期待してくれてたのに、それを裏切ることになるから、言い出せなくて」
圭太の言葉に宗次はハッとする。
「……気付いていたのか」
宗次は圭太がプロ野球選手になりたいと言ったとき、自分のかなえられなかった夢を圭太にかなえてもらおうと思った。
そのために、惜しみなく全てを差し出していた。
しかし圭太はその思いに気付き、そして、重圧に感じていたのだ。
「バカね。そんなこと気にしなくていいのに」
宗次はうつむいた。
圭太の顔を見られなかった。応接室で自分は多くの時間を棒に振ったことに怒っていた。思いを踏みにじられたと感じ、激怒した。
しかし、実際は違った。
宗次のせいで、圭太は多くの時間を棒に振っていた。無理やり野球をしてくれていたのだ。限界を感じながらも、ずっと宗次のために続けてくれていた。
「圭太、ごめんな」
顔を上げられず、そのまま宗次は謝った。
「父さんは何も悪くないよ……」
圭太の気遣いがとても痛かった。
圭太の夢
間もなく、退寮した圭太が家に戻ってきた。
おそらく春になって新年度になれば、スポーツ推薦の生徒が集められたクラスから一般生徒のクラスへと”編入”することになるだろう。宗次は、辞めた野球部を間近で見続けるのはつらいだろうと近所の公立校への編入なども勧めたが、圭太は家から片道2時間半かかる学校に通い続けたいと言った。
「父さん、俺、大学に行きたいんだ」
久しぶりに家族3人で囲んだ食卓で、圭太はぽつりとつぶやいた。
「実は昔から絵を描くのが好きでさ。高校に行ってからも休みの日とか空き時間は絵を描いていたんだ」
「そ、そうだったのか……」
食事する手が思わず止まった。宗次は圭太にそんな一面があることなんて何も知らなかった。
「うちの高校、実は美大の推薦枠があって、今から勉強してどんだけできるか分かんないけど、そっちに挑戦してみたいと思ってる」
決意を秘めた圭太のまなざしを、宗次は真っすぐに受け止める。受け止めなければならない。胸のあたりが熱いのは、単に頰張った炊き立ての白米が、熱かったからではなかった。
「ダメかな……?」
言葉が出ずに黙り込んでいたからか、圭太はこわばった表情で宗次の顔色を窺っていた。みやびも緊張した様子で、宗次を見つめた。
「ダメなわけないだろう。今度こそ、お前の夢をちゃんと応援させてくれ」
宗次の言葉に圭太の表情がほころぶ。宗次は熱くなる目元を隠すように、茶わんを抱えて白米をかき込んだ。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
梅田 衛基/ライター/編集者
株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。 マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。