「最も長く続いた移籍物語が、必然的な結末を迎えた」 マドリーがエムバペの獲得を狙い続けた12年間を地元紙が回想!「14歳でマドリードを訪れた時から…」

キリアン・エムバペのレアル・マドリー加入は、おそらく今夏の移籍市場において最大のニュースとなるだろう。サッカー界最大のスーパースターのひとりと、史上最多15回目のチャンピオンズリーグ(CL)優勝を成し遂げた最強クラブの融合は、歴史に残る出来事だとも言える。

とはいえ、これは決してサプライズではなく、むしろいつ実現するのか、何年も前から注目されていたことだった。25歳のフランス代表FWは、自身のSNSで「夢が実現した。憧れのクラブであるマドリーの一員になれて、とても幸せで、誇りに思う」と喜びを表わしたが、まさに「ようやく」という心境だろう。

マドリードのスポーツ紙『AS』は、「近年最も長く続いた移籍物語のひとつが、必然的な結末を迎えた」と表現し、「この移籍が長い間待ち望まれていたように感じるなら、それはその通りだ。エムバペが14歳でマドリードを訪れた時から、パリ・サンジェルマンによって拒否された数億ユーロのオファーまで、ラ・リーガの“巨人”は多大な努力を惜しまなかった」と綴り、相思相愛の関係ながらも結ばれることのなかった10年以上の年月を振り返っている。
両者の邂逅は2012年。エムバペがクレールフォンテーヌ・アカデミーの生徒だった時で、この頃から将来はスター選手になる運命だと言われた明らかな才能の持ち主に対し、リバプール、マンチェスター・シティ、バイエルン、チェルシーらが関心を寄せる中で、マドリーがこの逸材をマドリードに招待。少年はバルデベバスの練習場を訪れ、練習に参加しただけでなく、クラブのレジェンドである同胞ジネディーヌ・ジダンの車で送迎を受け、当時所属していたクリスティアーノ・ロナウドとも対面した。

エムバペ自身はマドリー行きに強い興味を示したが、彼の家族はフランスに留まって学業を続けるべきだと判断。「この最初のオファーがフランス人少年に強い印象を与えた」(同メディア)ことで両者の“ロマンス”が始まった。 そして、モナコでプロのキャリアをスタートしたエムバペが2016-17シーズンに爆発的なパフォーマンスを発揮し、26ゴールを挙げてリーグアン優勝、CL準決勝進出に貢献すると、マドリーはオフに1億8000万ユーロ(約306億円)のオファーを出す。しかし、彼の父親がスペインで十分なプレー時間を得られるのか懸念を示して交渉が停滞した間に、パリSGがユニークな条件を提示し、1年目はレンタルで、後に買い取り義務が伴う契約を結んだ。

同額のオファーでありながらパリSGに出し抜かれることになったマドリーは、2018年にロシア・ワールドカップ優勝の原動力となるなど、飛躍的に価値を高めたエムバペが2021年にクラブレベルで新たな挑戦を求めていることを知る。そして8月に1億6000万ユーロ(約272億円)、次に1億8000万ユーロをパリSGに提示したが、どちらのオファーに対しても公式な返答を得られず、両クラブ間の関係が悪化した。

とはいえ、2022年でパリSGとの契約満了を迎えることから、マドリーはこれを待つ構えだった。しかし、同年5月にエムバペはパリ滞在をさらに2年(1年延長のオプション付き)延ばすことを発表。これはマドリーにとっては裏切りと映り、その後はエムバペの獲得に慎重な姿勢を示すようになるが、当の本人は契約延長から数か月後にはパリSGのプロジェクトを批判し、クラブ側は契約解除金を4億ユーロ(約680億円)に設定するなど、関係は悪化した。そしてエムバペは、早い段階から延長オプションを行使しない意思を示していた。
そして今年2月、ついに長期契約のための条件面でエムバペとマドリーが合意したとの報道がなされ、それから4か月後、10年超の時を経て、ついに移籍は実現することとなった。

紆余曲折を経ての融合が今後、それぞれにどのような恩恵をもたらすことになるのか。長い間待っただけの甲斐があったということになるのか、あるいは遅すぎた契約となるのか。来季以降のラ・リーガやCLで明らかになる。

構成●THE DIGEST編集部

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