「理に適った補強」「完璧な組み合わせ」 エムバペのマドリー移籍を現地メディアやOBらは大歓迎! 一方でフランス・サッカー界の今後への懸念も

フランス代表FWキリアン・エムバペのレアル・マドリー入りが、6月3日に正式発表された。

2017年から7シーズン所属してきたパリ・サンジェルマンとの今季限りでの契約満了により、この25歳のスーパースターは移籍金なしでチャンピオンズリーグ(CL)を制したばかりのスペインの名門に加入。契約期間は2029年までの5年間で、スポーツ専門チャンネル『Sky Sports』によれば、年俸1280万ポンド(約25億円)の他、5年間で8500万ポンド(約169億円)のボーナスを受け取ることになるという。

長年噂されていた大型移籍がついに成立したことを受け、エムバペは自身のSNSで「夢が現実になった。憧れのクラブであるマドリーの一員になれて、とても幸せで、誇りに思う。今の気持ちは、言葉では表わせない。とても幸せで興奮している。マドリディスタのみんなに会うのが待ちきれないし、素晴らしい応援に感謝したい。アラ(頑張れ)、マドリー!」と喜びを表わし、新天地やそのファンにメッセージを送っている。

これに対し、マドリーの多くの選手たちはすぐにSNSで反応し、GKティボー・クルトワは「新しい家へようこそ」、ブラヒム・ディアスは「世界最高のクラブへようこそ」と歓迎の意を示し、エドゥアルド・カマビンガはフランス代表でのエムバペとの画像を公開、そしてエデル・ミリトンは「ようこそ。16回目の勝利を目指して……」と、早くも次なる欧州制覇を期待しているようだ。
また、クラブOBも久々の超大物選手の獲得を喜び、イケル・カシージャスは「ようこそ」、マルセロ(現フルミネンセ)は「君とともに16度目の欧州制覇への道が始まる」と投稿、ケイラー・ナバス(パリSG→今季で退団)は「君は偉大だ、兄弟」と称え、クリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)は「次は君の番だ。サンティアゴ・ベルナベウで君が輝くのを見るのが待ちきれない」と激励している。

今季はラ・リーガ、CLを勝ち取るなど、すでに十分な強さを誇るマドリーへのエムバペ加入は、カルロ・アンチェロッティ監督率いるチームに問題を引き起こす可能性があると警告するメディアも少なからずあり、イタリアのスポーツ紙『Gazzetta dello Sport』は、ヴィニシウス・ジュニオール、ジュード・ベリンガム、ロドリゴら優れたタレントを擁する攻撃陣に、このフランス代表FWを組み込むのは簡単ではないと指摘する。

逆に、アメリカのスポーツ専門サイト『The Athletic』などは、アンチェロッティ監督が柔軟に戦術を使い分けてスター選手の力を十二分に引き出す能力を持っていることを理由に、「理に適った補強」であると評価。元マドリーのフランス代表FWのニコラ・アネルカは「キリアンはマドリーでプレーするために生まれた選手」とまで言い切り、「現在のマドリーは彼を活かせるスピードを基盤としたチームであり、まさに完璧な組み合わせだ。心配は全くなく、彼は大活躍し、ゴールを積み重ねるだろう」と太鼓判を押した。

フランスの通信社『AFP』は、宿敵バルセロナとのパワーバランスに言及し、「マドリーは15回目の欧州制覇を果たした直後に、サッカー界最大のスターを獲得したことで、ライバルの傷口にさらに塩を塗り込むことになった」「財政難に苦しむバルサに対し、エムバペを獲得したマドリーの印象的な意思表明により、国内の勢力バランスがさらにマドリーに傾く可能性がある」と伝えている。 一方、エムバペを失うことになったパリSG。彼が契約延長のオプションを行使しないことを表明してからは、関係悪化が囁かれ、クラブが4月の給与を支払わなかったとのニュースも流れたが、マドリー移籍が決定的とされていた先月末、ナセル・アル・ケライフィ会長は米放送局『CNN』で「キリアンの幸運を祈っている。彼は7年間、我々のために素晴らしい活躍をしてくれた。私は、彼の野心を知っている。彼は別のリーグで新しい経験をしたかったのであり、そうする権利がある」と理解を示すコメントを残した。

もっとも、フランス代表OBのエマニュエル・プチのように「もうウンザリだ。彼はキャリアの最初の頃のように謙虚さを持つべきだ」と、今回のエムバペの移籍に対して以前から不快感を示していた者は、特にフランスでは少なくない。かつてフランス代表監督を務めたレイモン・ドメネクは、スポーツ紙『L’EQUIPE』で「リーグが立ち直れなくなるということではないが、これはブレーキだ」と、エムバペの“流出”がリーグアンの注目度を低下させることを懸念する。

これについて『L’EQUIPE』紙は以前、過去にフランスのトップスターの海外進出が国内にいかなる影響を与えたかを、“将軍”ミシェル・プラティニが1982年にサンテティエンヌからイタリアのユベントスに移籍した際のことを例に紹介している。

フランス・サッカーでは、リーグの規模の問題から、国外に出てから選手として大成するのがほとんどだが(ジネディーヌ・ジダンもそのひとり)、ジャン=ピエール・パパンのようにマルセイユ在籍時の1991年にバロンドールを受賞した珍しいケースもわずかにあり、プラティニも1977年(ナンシー所属)、80年(サンテティエンヌ)とバロンドールで3位の得票を受けるなどの実績を誇り、すでにフランス・サッカーの象徴と捉えられていた。
1977年にはすでにイタリア、イングランドのクラブへの移籍が噂されながらも国内に留まったプラティニが、2年後にインテルの強い誘いを受けた際、いよいよフランス・サッカー界には重苦しい雰囲気が漂い、国内メディアによるアンケートでは94.07%の回答者が移籍に反対の意思を示したという。

これを受け、1982年までさらにフランスでのプレーを継続したプラティニだったが、移籍前の最後のシーズンでは試合中にスタンドから罵声や侮辱の言葉を浴び、前半でプレーを止めたこともあった。当時同国代表を率いていたミシェル・イダルゴは後に、「我々は宝石を有していたが、彼への扱いは必ずしも良いものではなかった」と当時を振り返っている。

プラティニはイタリアに渡ると、最初の数か月はカルチョへの適応に苦しむも、このシーズンから3年連続でセリエA得点王に輝き、またバロンドールも1983年から3年連続で受賞する快挙を達成。1984年には自国開催のEUROで9ゴール(しかも全5試合で決勝点をゲット)を挙げる大活躍を披露し、母国に初のビッグタイトルをもたらしたが、彼はイタリアでの経験が最高の形で活かされたと強調したものである。

果たしてエムバペのマドリー移籍は、彼の価値をどれだけ高めることになるのか。そして、彼の国外流出がフランス・サッカーにどのような影響を与えるのかも、非常に興味深い。

構成●THE DIGEST編集部

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