『9ボーダー』松下洸平が見事に演じ分けた“2つの人物” コウタロウにまつわる伏線が回収

もし自分の知らないところで、もう一つの人生があったとしたら。今の自分の決断が、かつての、あるいは現在の大切な人を深く傷つけるとしたら。金曜ドラマ『9ボーダー』(TBS系)第8話では、そんなコウタロウ(松下洸平)の揺れ動く心の機微が鮮やかに描かれた。

「おおば湯リニューアル計画」は着実に前進していた。七苗(川口春奈)が前職で手がけたレストランの系列店を、新生おおば湯に誘致する案が持ち上がる。八海(畑芽育)は腕によりをかけ、試食会用のメニューを準備する。九吾(齋藤潤)も加わり、いっそう賑やかさを増した大庭家は家族の絆が深まるかのような温かな雰囲気に包まれていた。しかし、その平穏は長くは続かない。

八海がSNSに投稿した誕生日会の動画がきっかけで、コウタロウの過去に関する驚きの事実が明らかになろうとしていた。動画に映るコウタロウを見た人物から「自分の兄に似ている」との連絡が入ったのだ。コウタロウ本人は信じられない様子で、不安げに眉をひそめる。七苗は動揺を隠しきれずにいたが、コウタロウを励ますために笑顔を作るのだった。

そんな中、コウタロウの婚約者を名乗る百合子(大政絢)という女性の登場により、コウタロウの過去が少しずつ明らかになっていく。彼の本名が芝田悠斗であること、家族経営の不動産会社で働いていたこと、そして大金の正体が祖父からの遺産だったことなど、記憶を失う前の彼の人となりが浮かび上がってくる。仕事ができ、誠実で、多くの人に信頼されていたコウタロウ。そんな彼を想う百合子の思いもまた、真摯で深いものだったのだ。

自分との結婚が嫌になったから、彼が逃げ出したのではないかと思ったと打ち明ける百合子。その言葉には、彼女なりの思いが込められていた。コウタロウを愛し、彼と人生を共にしようとしていた百合子にとって、彼の失踪は大きな衝撃だったに違いない。コウタロウの記憶の隅にあった“オレンジペコ”は百合子が飲んでいたであろうことや、ビリヤードが上手だったことなど、これまでの伏線が次々と回収されていく。百合子を演じる大政絢が、真剣な眼差しで語る一言一言に、コウタロウへの愛情と、そして彼がいる日々取り戻したいという強い意志が感じられる場面だったのではないか。

しかしコウタロウが過去の生活に戻るのであれば、七苗とコウタロウの関係にも影響を与えずにはいられない。過去と現在、2つの人生の狭間で揺れ動くコウタロウ。そんなコウタロウを後押ししたのは、松嶋(井之脇海)の言葉だった。

「ちょうど今ボーダーですね。どっちを選んでも応援します。悩んで選ぶことが大事なんだと思います」

このセリフは、本作のテーマでもある「LOVE」「LIFE」「LIMIT」の3Lに悩む視聴者へのメッセージであったようにも思う。悩んだ末、コウタロウは「絶対に帰ってくる」と約束をして、一度神戸に帰ることを決意する。あつ子(YOU)が言うように、芝田悠斗という人物も、きっと周りから愛されるようないい人だったのだろう。自分の過去と、そして自分自身と向き合うために、彼はこの決断を下したのだ。

そして第8話では、コウタロウの記憶喪失の理由が、都市開発プロジェクトをめぐり、自治会長との対立が激化した末の事故だったことが明らかになる。議論の最中、コウタロウは階段から転落してしまう。雪の中、意識を失って倒れている彼を助けたのが、あつ子だった。

第8話では松下洸平の演技が、芝田悠斗とコウタロウという2つの人物を見事に演じ分けている。キリッとしたスーツ姿で、街をよくしたい一心で都市開発プロジェクトに情熱を注ぐ芝田悠斗。その真摯な眼差しと凛とした佇まいは、彼の仕事に対する真面目さと責任感を物語っている。一方、記憶を失ったコウタロウの優しさと純真さは、松下洸平の柔らかな表情と温かみのある言葉によって巧みに表現されている。2つの人物像の対比は、第8話の大きなキーポイントとなった。

しかし彼の演技は、単に2つの役を演じ分けるだけではない。芝田悠斗の中にも、コウタロウの中にも、彼らに共通する“人間性の本質”を見出し、それを表現しているのだ。だからこそ、私たちは芝田悠斗とコウタロウに、まるで別人でありながらも、どこか通じ合うものを感じることができるのかもしれない。自分を追い詰めた自治会長すらも許すコウタロウの心の広さこそが、過去にも現在にも通じる彼の本質だったのだろう。

コウタロウがおおば湯にたどり着き、七苗と出会ったのは偶然ではないのかもしれない。地域の人々に愛される銭湯で、彼は新しい人生を始める機会を与えられたのだ。街を変える立場として乗り込んできたこの街で、皮肉にも大切な人々との絆を育み、自分の居場所を見つけられたのだから。記憶を失ったからこそ、コウタロウとして生きる自由を手に入れた芝田悠斗もまた、3姉妹と同じく“幸せ”の呪縛に悩んでいた人だったに違いない。神戸に戻った彼は、どんな未来を幸せとして想像するのだろうか。
(文=すなくじら)

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