松平健が語る「マツケンサンバ」誕生秘話、初披露時は「お客様がビックリしたみたい(笑)」

松平健  撮影/有坂政晴

1975年に俳優デビューして以来、『暴れん坊将軍』の徳川吉宗役で時代劇俳優としての地位を揺るぎないものにした松平健さん。さらに、歌手としても2004年にリリースした『マツケンサンバII』が大ヒットし、令和の今でも世代を超えて愛される一曲となっている。そんな松平さんの「THE CHANGE」とは?【第3回/全4回】

松平健さんが大ヒット曲『マツケンサンバII 』をリリースしたのは2004年7月7日。しかし、この楽曲の基となる『マツケンサンバI』が誕生したのは、さらにさかのぼること10年以上も前のこと。舞台公演では毎回歌われ、ファンの間では人気の曲だった。そしてこの1曲が、やがて時代劇スター・松平健の運命を大きく変えることとなる――

「私の公演は1部が芝居で、2部は歌と踊りのショーになっています。はじめの頃は洋装でタップを踏んだりピアノを弾いたりしていたのですが、いまひとつ盛り上がりに欠けていたんですね。そんなあるとき、長谷川一夫さん(※国民栄誉賞も受賞した時代劇の大スター)の公演を観に行ったところ、和風のショーで、お客様が身を乗り出して見入っているんです。やっぱり日本人は和風のほうが楽しめるんだなと、私も着物でのレビューショーに変えて、最後は華やかな曲で盛り上がって帰っていただこうということになりました」

『松健音頭』から始まり、『マツケン小唄』『マツケンマンボ』と次々に新しい曲が誕生した。

「時代と共にだんだん曲のテンポが速くなって、『今年はラテン系をやってみようか』と作ったのが、『マツケンサンバI』。これが好評で、『II』が生まれたんです」

スパンコールの着物で腰元ダンサーズを従え歌い踊る姿に、時代劇スターとしての松平さんしか知らなかった人々は度肝を抜かれた。しかし、公演に通ってきたマツケン・ファンにとっては「ついにテレビで見られるようになった」という思いだったのではないだろうか。

若い世代にも『マツケンサンバ』人気

「衣装のアイデアは私が出しました。イメージはリオのカーニバル。あの衣装を和服でやったらどうなるだろうと提案し、着物だけキラキラじゃバランスが取れないから、頭にも光り物を付けて。それまでスパンコールで着物を作った人はいなかったので、初めて舞台で披露したときは、お客様はびっくりしたみたいです(笑)。でもすごく楽しんでくださって、嬉しかったですね」

リリースされた『マツケンサンバII』は誰もが知る大ヒット曲となり、この年の『第55回NHK紅白歌合戦』に初出場。振り付けをした真島茂樹さん(享年77)までが一躍時の人となり、マツケン人気はとどまることを知らなかった。

松平健  撮影/有坂政晴

「最初のブームからもう20年が経つのですが、折に触れて何度も話題にしていただいている。そして、若い世代の方が『マツケンサンバII』で私のことを知って、再放送や配信サービスで『暴れん坊将軍』を観てくださったり、舞台に足を運んでくださったりする。こうやって、これまでやってきたことがつながっていくのは嬉しいことですね」

7月から明治座で行われる『松平健 芸能生活50周年記念公演』を控えた今、改めてこれまでの50年間を振り返ってもらうと……。

「私は芸も技もそんなにないので(笑)、ただひたすらに50年やらせていただいたという気持ちです。世に出していただいた作品である『暴れん坊将軍』を、記念公演では久しぶりに演じますが、これは、この50年間の使命という気がしていますね。2部では、もちろん『マツケンサンバII』を歌うので、大いに盛り上がっていただけたらと思っています」

松平健(まつだいら・けん)
1953年11月28日生まれ。1975年にテレビドラマ『座頭市物語』(フジテレビ系)でデビュー。1978年から『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)で、徳川吉宗役を演じ、時代劇俳優としての地位を確立。以降、多数の映画やドラマで活躍し、代表作にNHK大河ドラマ『草燃える』『義経』『鎌倉殿の13人』、『リーガルハイ』(フジテレビ系)、『PTAグランパ』(NHK BSプレミアム)、『下剋上球児』(TBS系)などがある。歌手としても2004年『マツケンサンバII』が大ヒット。現在も老若男女に愛される楽曲となっている。

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