第1子を妊娠中の元℃-ute・矢島舞美。「俺、お父さんになるのに、何もできない…」とへこむ夫に名づけをお願い

ワンちゃんを抱っこしながらのツーショット。妊娠中も散歩には積極的に。

元℃-uteのリーダーであり、俳優として活躍する矢島舞美さんは、2022年11月に同じく俳優の味方良介さんと結婚。2024年3月に第1子妊娠を発表し、今年の夏ごろにはママになる予定です。安定期を迎えるまでは、切迫流産(せっぱくりゅうざん)で1カ月に及ぶ入院生活を余儀なくされ、さらに重いつわりも乗りきったそう。今回は、10歳から始めたという芸能界の仕事のこと、またこれから出産や子育てに向けての気持ちを聞きました。
全2回インタビューの2回目です。

元℃-ute・矢島舞美。妊娠初期はつわりに悩まされ、切迫流産で1カ月間の入院生活。夫は家事サポートが完ぺきで、出産は立ち会う予定

10歳で芸能界入り。下校後はほぼ毎日、埼玉から東京までレッスン通いも

妊娠中2回目の舞台のとき。カーテンコールでは、サプライズで花束をもらったそう。

――10歳から始めた仕事のことを教えてください。

矢島さん(以下、敬称略) 私は小さいころから “テレビっ子”でした。「テレビの世界って、なんだか楽しそうだし面白そう!」と思って、「オーディションを受けてみたい!」と親にお願いしたんです。とある番組の新メンバーを募集するオーディションがあって、それに応募する予定だったんですが、親が応募し忘れてしまって。それで、そのときにたまたま募集があった、モーニング娘。の妹分のオーディション『ハロー!プロジェクト・キッズオーディション』を受けることになったんです。

親は「きっと無理だろうけど、どうしても行きたいなら…」という感じで送り出してくれました。最終審査まで残ったときは、親も急に不安になってしまったみたいで、通過のはがきを勝手に捨ててしまったんですよ(笑)。それでも、私は「どうしても行く!」と言って、最終オーディションまでなんとか行きつきました。それで合格することができたんです。

このとき、私はまだ10歳。東京に出たこともなかったし、右も左もわからない状態でした。両親としても、これまでの生活がガラッと変わってしまうほどの大きなことだったので、きっと葛藤したんじゃないかなと思いますね。

合格してからは、平日も土日も関係なくほぼ毎日レッスンがあり、学校が終わったら、そのまま都内のレッスンスタジオまで親に車で送ってもらっていました。バッグダンサーとして地方公演に出演することもあったのですが、それも親が同行しないと出られないんです。できるだけ私の願いをかなえてくれるために、母は一度仕事を辞めて、私をしっかりサポートしてくれました。今思うと、本当に苦労をかけてしまったなと思っています。

小さいころからずっとそばにいてくれた母。妊娠してからも、一番頼れる存在

バースデーイベントの際に着ていた衣装でオフショット。

――アイドル時代は、どんな毎日でしたか?

矢島 私の場合、好奇心や興味があるという動機だけで今の仕事を始めたので、ダンスも歌も未経験。最初は、「大変な世界に入ってきてしまったな〜」という感じでした。でも、だんだんと「ライブって楽しいな」という気持ちに変わっていきましたね。

アイドルをしていた12年間は、本当にいろいろな経験をさせてもらいました。ライブ活動やバラエティ番組、舞台の仕事などをさせていただく中で、「芝居って楽しい」「お芝居の世界にもっと飛び込んでみたい」と思うようになっていったんです。ただ、アイドルとしての仕事をこなしながら、同時にお芝居の仕事を両立させるのはかなり大変だとも感じて。それで、℃-uteを解散したあとに、舞台などお芝居の仕事を中心に挑戦させてもらっています。

――インスタグラムで拝見しましたが、お母さんとすごく仲よしですよね。矢島さんにとって、お母さんはどんな存在でしょうか。

矢島 私は、兄が2人いる、三人きょうだいの末っ子です。母とは小さいころから、ずっと一緒に行動してきたので、何か悩んだときや迷ったときは、必ず母に相談してきました。今でも、わからないことや悩みがあると、電話をして話を聞いてもらっています。妊娠したときも、もちろんすぐに報告。妊娠したことを喜んでくれると思っていたのですが、母としては心配のほうが勝っていたみたいです。

つわりで弱っているときなども、母は「気持ちの問題だから〜」なんて言うので、「そうじゃないんだよな〜」と、心の中では思っていました(笑)。でも、妊娠初期のつらかった時期には、仕事が休みのたびにお見舞いに来てくれたし、私は何も言っていないのに、私が食べたいものをピンポイントで持ってきてくれるんです。母には、いつもいつも助けられています。

都内で出産するか、地元に戻って出産するかなど、産院選びも母に相談しました。結局、里帰りをして出産することに決めたので、予定日の少し前から実家に帰って、出産後しばらくは母のサポートを受けながら実家で過ごす予定です。

産後は、様子を見ながら仕事にも復帰していこうと思っています。ただ、夫も仕事柄、休みが不定期なので、なかなか予定を立てづらいんです。もし私の仕事が入って、夫にも頼れないときは、母が子どもの面倒を見てくれると言ってくれたので、そこは甘えさせてもらおうかなと。母がいてくれるのは、本当に心強いですね。

友だちの出産シーンを見て、出産は命懸けなんだと実感

旅先で、鹿と触れ合う一幕も。リラックスしている様子の矢島さん。

――お友だちや仕事仲間など、先輩ママから妊娠や出産に関してのアドバイスをもらうことはありますか?

矢島 妊娠初期のころは、仲のいい友だちだけに妊娠のことを伝えていたんです。すでにママになっている友だちにはたくさんアドバイスをもらいましたね。切迫流産で入院していたときには、妊娠・出産レポの漫画本を病院に届けてくれたり。それを読んで、自分の妊娠生活と照らし合わせたりもしていました。

あとは、出産までに用意するものについてもいろいろアドバイスをもらいました。早めに用意したほうがいいもの、生まれてからでもいいものなど、けっこうこまかく教えてもらえたのはよかったですね。

出産に関しては、先輩ママの話を聞いていると、正直恐怖でしかないです(笑)。出産のときの動画を親友に見せてもらったことがあるのですが、それを見ただけで泣けてきてしまって、出産ってやっぱり命懸けなんだというのも実感しました。本当に、世の中のママはすごいなって思います。

仕事の合間のオフショット。おなかも少しふっくらしてきています。

――妊娠をしながら仕事をする中で、社会のしくみや制度で、もっとこうなったらいいのに感じることはありますか?

矢島 私自身は、妊娠中に嫌な思いをしたことはないんです。でも、妊婦さんの体のことを理解していない方から嫌みな言葉を投げかけられたり、妊娠に関して周囲の理解が得られない…という話を聞きます。女性でも、初めての妊娠では、自分の体がどうなっていくのかもわからないし、どんな症状がこれから起こるのかも想像できないですよね。それが男性なら、なおさらだと思うんです。

だから、だれもが、妊娠するとどんな症状があって、どんなことが大変なのかを知る機会があるといいなと思っています。

あとは、子育てにはすごくお金がかかりますよね。それで、妊娠中も産後も働きたいし、働かなければいけないという方も多いと思います。ただ、妊娠中はつわりや体調不良で仕事どころではなかったり、産後は体の回復具合に時間がかかってしまったりして、実際にはなかなかうまくはいかないですよね。そういった体調面での問題や、「子どもの成長をしっかり見守りたい」というママたちの気持ちを大事にしつつ、一方で働くこともできるような、妊婦さんやママたちに優しい社会のしくみがあったらいいなと思います。

また、自分で調べて申請しないといけない制度やサービスも多いなと感じました。私自身も区役所に行ってお話を聞く機会があったのですが、やるべきことがたくさんありすぎて、これは大変だなと思いました。もっとわかりやすく、それでいて損をしないように、制度が使えるようになるといいですよね。

妊娠中、「お父さんとして何もできていない」という夫に名づけをお願い

2匹のワンちゃんとお出かけ。安定期以降は散歩に出かける機会も増えたそう。

――産後の体型戻しのために、今から考えていることはありますか?

矢島 妊娠中に体重が増えすぎると、元に戻すのが大変なので、体重計に毎日のって今から気をつけています。とは言っても、3食しっかりバランスよく食べています。

あとは、ワンちゃんを連れて近所でお散歩をしていますね。1日中家にいると息が詰まってしまうので、安定期以降は積極的に動くようにしています。予定が合うときは、夫と一緒に出かけることもありますし、友だちと出かけたりもします。

――赤ちゃんの名前はもう考えていますか?

矢島 性別はもうわかっているので、今考えているところです。私が切迫流産やつわりで苦しんでいたときに、夫が「俺、お父さんになるのに、何もできない…」とへこんでいたことがあったので、「それなら、名前を考えてよ!」と伝えました。画数もしっかり調べて、候補もたくさん出して考えてくれています。

――どんな風に育てていきたいですか?

矢島 のびのびと育ってほしいですし、興味を持ったことはなんでもやらせてあげたいなと思っています。ママとパパはあなたのことが大好きだよというのを伝えて、たくさんほめてあげたいです。あとは、家族3人でなんでも話せる関係性を作りたいなと思いますね。

夫は、自然に触れて泥んこになって育ってほしいと言っています。夫自身が、男3きょうだいで、泥んこになってたくさん遊んで育ったみたいなので、きっとそれが理想なんだと思います。

夫は芯がしっかりしていて、嫌なものは嫌、いいものはいい!といった、はっきりした性格の人。だから、子どもに対しても、いけないことをしたときはビシッとしかってくれるんじゃないかなと今から想像しています。私のほうが甘やかしてしまいそうなので、夫にしっかりしめてもらうことで、バランスが取れていいのかなと思います。

お話・写真提供/矢島舞美さん 取材・文/内田あり(都恋堂)、たまひよONLINE編集部

44歳で第一子を出産した、フリーアナウンサーの宮崎宣子さん。不妊治療は夫が背中を押してくれたのがきっかけ。治療中は終わりの見えないマラソンのようだった

現在は少しずつ仕事をセーブし、出産に向けての準備をしているという矢島さん。夫婦で散歩に出かけたり、名づけについて考えたりと充実した日々を送りながら、赤ちゃんの誕生を心待ちにしているようです。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年6月の情報で、現在と異なる場合があります。

矢島舞美さん

PROFILE
1992年生まれ、埼玉県出身。10歳のときに、『ハロー!プロジェクト・キッズオーディション』に合格。2005年に℃-uteが結成し、のちにリーダーとなる。2014年にはハロープロジェクトリーダーに就任。2017年6月に℃-uteが解散し、その後は舞台を中心に、テレビ・ラジオなどで幅広く活動。2022年11月には、俳優の味方良介さんと結婚。

矢島舞美さんのInstagramアカウント

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