年収1500万円・62歳外資系社員から「17社転職落ち」…月収15万円で“汚物処理”も経験「それでもいまが正解」と思う理由

美味しそうにビールを飲む沢口健助さん。ふだんは立ち飲みが多いと言う

「会社なんか辞めて、生き甲斐を追ってみたい」「自分には天職があるはず」――そんな衝動に従うべきなのか。年収1000万円や安定した将来を捨てた男たちに、「いま、本当に幸せか」を聞いてみた!

「3年間で17社を受けましたが、転職先が決まりませんでした。60歳を越えるとこんなに状況が変わるとは、辞めるまでわかりませんでした」

と話すのは、沢口健助さん(66歳、仮名)。難関国立大学を卒業後、大手メーカーへ。その後、マーケティングで外資系企業を渡り歩き、最後はシニアマネージャーを務めた。

「定年延長したあと、年下のいやらしい上司に当たりまして、わかりやすい追い出しに遭いました。そのころは心を病みかけ、疲労も溜まってきました。これまでの経験から次の仕事もすぐに見つかるだろうと、退職しました」

だが、仕事は一向に決まらない。折悪く、都内一等地のマンションを売りに出し、賃貸に引っ越したばかり。ローンと家賃の二重払い生活に陥った。

「利便性がよく、マンションはすぐに売れると思っていました。ところがまったく売れず、毎月25万円の家賃は出ていくのに仕事は決まらない、かなり悲惨な状況でした。なんとか1年半後に買い手がついて、都内西部に中古マンションを購入。すべて片づいたときには、手元に150万円の貯金しか残っていませんでした」

とにかく“出血”を止めなくてはいけない。藁をも掴む思いで3年越しで決まった就職先は、ビルメンテナンスの会社。仕事は4つほどの商業ビルの巡回だった。

「やっと決まったものの、給料は15万円ほど。それまでの年収は1500万円ほどだったので、厳しかったです。でも稼がなくちゃいけない。基本的な業務は蛍光灯の交換などでしたが、汚物があったら片づけざるを得ない。一度、処理したことがあります。ハッカ油をかけると臭いが取れるんですよ。『自分がなんで、こんなことを』とか、考えないようにしていました。虚しくなっても食べていけませんから」

それから約1年。沢口さんには意外なところから“幸運”が訪れる。勤務先の女性社員からマーケティングを教えてほしいと頼まれ、昼休みや就業後に講義をした。

「その女性が、ある中小企業の社長令嬢だったんです。私が出した課題を家族で解いていたようで、『そんなキャリアがあるならウチへ来てもらえ』と、誘いを受けました」

約1年、ビルメンテナンスの会社と並行して勤務。事業内容にも納得した沢口さんは転職し、同社の執行役員として迎えられた。

「今の会社では年収400万円ぐらいで、年金がなければ食べていけません。でも、やりがいがぜんぜん違いますね。今はおもに、若い社員の教育を担当しています。自分のやってきた仕事が、人の役に立つのはありがたいこと。イヤだった年下の上司からいろいろと指摘を受けたことが、今思い出すと意外に有効なんですね。顔を見たいとは思いませんけど」

沢口さんは自分の経験を振り返り、こう話す。

「自分が転職で落ち続けているときは、何が悪いのかわかりませんでした。でも今なら、『自分は1500万円稼いでいた人間なんだ』という偉そうな態度がどこかに出ていたんだろうとわかるんです。私は17社も落ちたことで、このままではいけないと思い知らされ、一からやり直すことができました。その後、どんな道が待っていたにせよ、今が正解だと思っています」

日本酒が楽しみだという沢口さんはいい顔で笑った。

© 株式会社光文社