王様ペレ負傷で「ルール改正」、釜本邦茂と「フル活用」で五輪メダル【意外と知らない「サッカーの選手交代」起源と進化と現在地】(4)

選手交代は、今年のパリ五輪でも日本代表にメダルをもたらすのか?(2016年、サンパウロ、パルメイラスの「アリアンツ・パルケ」スタジアムで) ©Y.Osumi

サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、0から最多7まで増えたもの。

■フルに利用した日本が「メダル獲得」

このワールドカップ予選で交代が可能になったのは、1953年のルール改正によって、「負傷者はいつでも交代できる」ということになっていたからだった。ただし、交代可とするには、両チームの試合前の合意が必要だった。また大会規定で交代を不可とすることもできた。ワールドカップでは、1966年大会まで交代はできなかった。

日本最初の全国リーグ、日本サッカーリーグがスタートしたのは1965年。当時の規定では、「交代は後半戦開始までに1人認める。ただしGKが負傷した場合にはいつでも交代することができる」とされていた。この規定により、多くの交代はハーフタイムに行われた。交代第1号は、1965年6月6日、開幕節に東京の駒沢競技場で行われた日立本社(柏レイソルの前身)×名古屋相互銀行の試合。名相銀のFW前川紀雄に代わって池谷富雄が出場した。

1966年、ワールドカップ・イングランド大会で3連覇を目指すブラジルのペレがひどいファウルを受けて負傷、交代もできずに敗退したことで、ようやくIFABも考えを変える。1967年のルール改正では「親善試合では理由を問わずに2人の交代ができる。また公式戦でも、大会ルールで2人の交代を認めることができる」となった。

1968年のメキシコ・オリンピックでは、「交代できる」ことをフルに利用した日本代表が銅メダルの歴史的偉業を成し遂げた。メキシコとの3位決定戦以外の5試合で、日本は選手交代を使い、その利を生かした。とくにグループリーグ突破に重要な意味を持っていた第2戦、ブラジル戦での交代は水際立っていた。

1点のビハインドで迎えたハーフタイムにFW桑原楽之に代えてMFに宮本征勝を投入、前半はMFでプレーしていた釜本邦茂をセンターフォワードに上げる。そして、終了9分前にはドリブル突破を得意とする右ウイングの松本育夫に代えて、独特の得点感覚を持つFW渡辺正を入れる。そして2分後、左サイドを突破したFW杉山隆一のクロスをファーポストに走った釜本がブラジルのDF3人にヘディングで競り勝って折り返したところを、ゴール前に飛び込んだ渡辺が体を倒しながら右足で合わせ、ゴールに突き刺したのだ。

■初の戦術的な交代は「西ドイツ」名将

1970年のワールドカップ・メキシコ大会では、西ドイツが交代を利用して画期的な戦いを見せた。多くのチームが交代を疲労の色の濃い選手や負傷者のために使ったのに対し、西ドイツのシェーン監督は初めて戦術的に交代を使うという手法を見せたのだ。

シェーン監督は、この大会のためにウイングでプレーできる選手を4人用意した。ジギ・ヘルト、ラインハルト・リブダ、ヨハネス・レール、そしてユルゲン・グラボウスキーである。どの選手も所属クラブではセンターフォワードなどをこなしていたが、ドリブル突破を得意としていた。この4人を、シェーン監督は交代を交えながら自在に使って、相手守備を切り崩したのだ。

なかでもグラボウスキーは、後半のなかば近くになって投入されることが多く、そのドリブルで相手を追い詰めた。彼は右でも左でも同じようにプレーができ、相手のサイドバックの能力や疲れ具合などを見ながら、シェーンはグラボウスキーを投入、相手の守備を突き崩した。交代選手の戦術的利用の有用性を示し、その後の世界のサッカーに大きな影響を与えたのが、シェーン監督だった。

■アメリカW杯イヤーの改正に「抜け道」

その後、四半世紀、交代枠は「2人」に固定されていた。終盤の負傷に備えて1枠は取っておかなければならないから、戦術的な交代が使えない場合も多かった。早めに2人の枠を使ってしまったら、GKを狙われる、イエローカード覚悟で反則を仕掛けられるという恐れが十分あったのだ。

1994年、アメリカで開催されるワールドカップの年のIFABは、「2+1」という交代に関する新ルールを決めた。従来の2人に加え、GKに限り、3人目の交代を許すというのである。これによって、2人の交代をより戦術的に使えるのではないかという狙いだった。しかし、これは馬鹿げた改正だった。

ルールでは、主審に報告しさえすれば、GKとフィールドプレーヤーはいつでも入れ替わることができる(もちろん、ウェアは着替えなくてはならないが)。GKはまずフィールドプレーヤーとなり、その後GKとなった選手が他の選手と交代。この時点でGKと入れ替われば、実質的に3人のフィールドプレーヤーの交代ができるようになる。さすがのIFABもこの「抜け道」にすぐに気づき、翌1995年のルール改正で、ポジションに関係なく、1試合3人までの交代ができるようにした。

その「交代3人制」が、また四半世紀後、コロナ禍という人類の誰も想像もつかなかった要因で「5人制」となり、恒久化されることで、サッカーは大きく変化した。

たかが交代、されど交代。「交代5人制」によって、これまでよりも数十倍に広がった「戦術的な可能性」の海の真っただ中で、監督たちはホワイトボードを中心にしてコーチたちと頭を寄せ合い、「最善の解」を求めて知恵を絞っているのである。

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