川崎×名古屋戦 椎橋慧也に「出なかった」イエローとVAR至上主義、「大事にしたい」第18条【サッカー「レフェリー問題」の元凶】(3)

6月1日土曜日のJ1リーグ第17節、横浜F・マリノスVS鹿島アントラーズ戦に続いて翌6月2日日曜日の川崎フロンターレVS名古屋グランパス戦でも、レフェリングにまつわる問題が繰り返された。プレーする者にも、見る者にもストレスを与えるレフェリングの根源にある問題は何なのか。サッカージャーナリスト後藤健生が探る。

■判定基準が「?」なイエローが翌日も

翌日(6月2日)の川崎フロンターレ対名古屋グランパスの試合でも、判定基準について「?」と思う場面があった。

川崎が前半の家長昭博の2ゴールで2対0とリード。その後も、全体としては川崎が優勢に試合を進めていた。

そして、74分、名古屋はCKのチャンスを得た。だが、CKからのボールは川崎DFの高井幸大がヘディングでクリア。スピードのあるマルシーニョにこのボールが渡り、ドリブルに移ろうとしたところだった。名古屋の椎橋慧也は両腕を使ってマルシーニョを止めた。

もちろん、御厨貴文主審は反則を取ったが、イエローカードは提示されなかった。

川崎ベンチが激しく抗議したのは、53分に同じような場面で高井に対してカードが出されていたからだった。バフェティンビ・ゴミスのシュートがブロックされ、名古屋のキャスパー・ユンカーにボールが渡ったところを高井がシャツを引っ張って止めたプレーに対する警告だった。

だが、同じような場面で、椎橋にはカードが出なかったのだ。

そして、さらに、85分には同じように名古屋の永井謙佑の突破を止めた橘田健人にもイエローが提示された。

日本の観客は、こういう判定に対する不満については淡泊だが、ヨーロッパの観客はこういうプレーや判定に対して執拗に反応する。このような事象が起これば、試合終了まで椎橋がボールにタッチするたびに口笛が鳴り響き続けたことだろう。

Uvanceとどろきスタジアムの記者席の前で、外国人の観客が5人ほど観戦していた。ライオン・ポーズをしていたから、おそらくゴミスを見に来たのだろう。ビールを片手に熱心に川崎を応援していた。そして、彼らは椎橋に警告が出されなかった瞬間に激しく反応していた。

■誤審は「どこの国のレフェリーにもある」

鹿島対横浜FMの試合でも、川崎対名古屋の試合でも、違和感を感じた判定は“些細な”出来事だったかもしれないが、ああした判定基準の揺らぎが選手たちには大きなストレスになることは間違いない。

僕は日本人のレフェリーたちのレベルが低いとはまったく思っていない。誤審は、どこの国のレフェリーにもある。

日本サッカー協会は、月に1回ほどの頻度でメディア向けに「レフェリー・ブリーフィング」という催しを開いて、映像を使って判定基準の説明などをしてくれている。そうした説明を聞けば、レフェリーたちがどれだけ努力しているかが理解できる。

そのブリーフィングの席でとくに重点を置かれているのが、VARに関する説明だ。VARが介入して、定められたプロトコル(手順)に従って、ピッチ上のレフェリーとやり取りをして、短時間のうちに判定を確定させる作業は非常に複雑なもので、レフェリーたちの苦労は大きい。

2月には、Jリーグ担当審判のVARを巡る研修を見学する機会も設けられ、模擬のVARルームでの実習も見せてもらった。

VARについてはさまざまな問題点が指摘され、そのたびに細かい規定が付け加わってプロトコルも複雑化している。それに則って、短時間のうちに判定を確定するのは本当に大変な作業だと思う。

だが、そうしたプロトコルに従って処理することに努力が傾注されすぎることで、判定があまりにも形式的になってきているのではないだろうか?

■もう一度「大事にしたい」第18条

昔は、「サッカー・ルールでは第18条が大事だ」とよく言われていた。

サッカーのルールはいろいろと改訂されているが、競技規則はずっと第17条までである。「第18条」というのはルールに書かれていない「常識」のことなのだ。

だが、今のレフェリングは「書いてあること」だけが重要視されているように思える。

たとえば「ハンド」について、手の角度だとか手の動きだとかについて細かい規定が積み重なってきていて、すべてがそれに従って決定されることが多い。その結果、誰も(攻撃側も守備側も)ハンドがあったとは思わなかったような場面でいきなりVARが介入してきて、腕がボールに触れている映像だけが切り取られてハンドと判定され、PKという“極刑”が課せられるようになってしまった。

VARのプロトコルに関して、あのように長い時間と労力をかけて訓練をするくらいなら、判定基準の揺れを防ぐとか、「第18条」に関する議論とかを展開したほうがよほどサッカーというスポーツのためになるのではないかと思うのだ。

言っておくが、レフェリーたちが悪いのではない。彼らは決められた競技規則に則って、いかにそれを迅速に、そして正確に適用するかという努力をしているのである。

問題はVARを重視しすぎた“いびつな”プロトコルを作成した立法者たちにある。

僕は、もう20年近く前からビデオ判定導入を主張していた。しかし、現在、現実に実施されているような形のVARは望ましい形ではないと思う。ビデオ判定のあるべき姿とは何なのか? もう一度、原点に戻って考え直すべき時期が来ていると思う。

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