2009年WBC決勝 岩隈久志が感謝してやまない内川聖一のスーパープレー【平成球界裏面史】

勝ち越しのホームにすべり込みガッツポーズを見せる内川聖一(2009年3月)

【平成球界裏面史 近鉄編56】平成21年(2009年)のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で岩隈久志は実質MVP級の活躍で侍ジャパンの連覇に貢献した。平成16年(04年)のアテネ五輪では序盤でKOされ苦汁をなめた。それ以来の日本代表のマウンドだったが、見違えるほどに成長した右腕は頼もしかった。

3月18日、2次ラウンド敗者復活戦のキューバ戦(米サンディエゴ、ペトコ・パーク)で先発し6回無失点。5―0の勝利に貢献し、チームを決勝ラウンドまで押し上げた。これでお役御免。登板すれば中4日となる決勝は念のため、リリーフ待機と考えていた。だが、原辰徳監督から決勝の先発を託された。

大会中、5度目の対戦となった韓国打線の分析は城島健司捕手の脳にインプットされていた。岩隈もリードの意図をくみ取り、4回二死までパーフェクトに抑えた。1点リードの5回、先頭の秋信守(当時インディアンス)に同点ソロを被弾した。続く高永民には左翼線へ鋭い打球を弾き返された。

「あの試合の流れでの二塁打となると展開的には苦しくなったはず」。悪い予感が脳裏をよぎった瞬間、左翼手の内川聖一が思いもよらぬプレーに出た。打球に対して回り込まず一直線にチャージ。猛スピードのままハーフバウンドの打球をスライディングキャッチすると、そのまま二塁に送球した。

送球もストライクで二塁手・岩村明憲のグラブに収まり、間一髪で二塁タッチアウト。さすが元遊撃手の内川だが「後から考えると怖いプレーだったなとも思うんです。あれを後ろに逸らしてたらねと思うでしょ。ただ、あの時は失敗する怖さとかそんなことを考えずに夢中でやった」と無我夢中だった。そのプレーに岩隈は「スーパープレーに救われた」と現在でも感謝している。

その後も岩隈は力投を続け97球、7回2/3を4安打2四球6奪三振2失点。1点のリードを保ったまま侍ジャパンのリリーフ陣にマウンドを託した。

「緊張もあって力んでいたんでしょうね。最後の方には疲れも感じていました。でも、その中でも自分のできる限りの投球ができたと思います」

ただ、あとアウト4つでは勝てなかった。1球、1球の重みがハンパなく投手の投球のインターバルは自然と長くなった。ゲームが重くなると同時にプレッシャーも倍増。改めてWBC連覇の重圧が侍ジャパンに襲いかかった。9回、藤川球児に代わり守護神としてマウンドに立ったダルビッシュ有が李机浩に同点適時打を許し、試合は延長戦にもつれ込んだ。

岩隈は「これが野球、これがWBCの決勝の舞台なんだ」と実感した。自身のWBC決勝での白星が消えたことなどは心底どうでも良かった。ただ、チームが勝てば…と必死にベンチから声援を送り続けた。

04年のアテネ五輪では先輩の中村紀洋とともに近鉄バファローズから日本代表に送り出された。09年、侍ジャパンでは元近鉄の選手は岩隈だけとなっていた。合併、そして消滅から5年。WBC連覇の歓喜の中、そんなことを考えた野球ファンは少なかったはずだが…。

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