力道山に重傷負わせた〝海坊主〟スカル・マーフィー 1962年9月アジアタッグ王座戦

薄笑いを浮かべながら力道山の首を絞める海坊主。不気味な選手だった

【昭和~平成スター列伝】プロレスの祖・力道山が“怪奇派レスラー”との戦いも得意としていたことは何度も触れたが、全身無毛で“海坊主”と呼ばれたスカル・マーフィーもその1人だった。

1962年9月に初来日を果たし、ゴリラ男フランク・マコニーと組んでシリーズ開幕戦(9月14日東京体育館)で力道山、豊登組のアジアタッグ王座に挑んだ強豪だが、何と試合中に外国人勢を乱入させ力道山に「右胸鎖関節脱臼」で全治4週間の重傷を負わせる暴挙を働いている。

力道山を襲撃して欠場に追い込むなど、当時のプロレス界では神をも恐れぬ無法行為だった。海坊主に加担したのはムース・ショーラック、アート・マハリックの無法者たち。本紙は1面で詳細を伝えている。

『海坊主、ゴリラ組は例によって反則攻撃の連続でスタート。10分過ぎまではお互いが得意技を出し合ってシノギを削る。しかし好試合はタイトルそっちのけの大混乱に陥った。反則に業を煮やした沖レフェリーがマーフィーをフルネルソンで制止したが、力道山の空手が沖に誤爆。レフェリー不在でリング上は無法地帯となった。その間に力道山は空手チョップで主導権を握ったが、エキサイトしたムースとマハリックが入ってきたからたまらない。4人がかりで攻撃を受けた力道山は場外に転落しマーフィーのキック、マハリックのタックルを受ける、19分19秒、無効試合の裁定が下された。報道陣を無視して「大バカヤロー!」と叫んだ力道山は、慶応病院に運ばれ「右胸鎖関節脱臼により全治4週間から3週間の安静が必要」との診断を受けた』(抜粋)

まさに予想外のアクシデントで力道山は15日から18日までの4試合を欠場。しかし力道山抜きでの興行は各地で不満が噴出したため、力道山は慶応高校アメフット部に所属していた長男・義浩氏のプロテクターを着けて19日大阪2連戦の6人タッグから強行復帰。19日はマーフィー、マハリック、ムースと激突し、自軍は敗れたものの左腕の空手チョップでマーフィーをグロッギーにさせた。10月26日長崎のシングルでは空手チョップで制裁KO(2―0)している。

プロテクターを着けて戦う英雄は悲壮感が漂い、大観衆の反響も大きかった。やはり希代のアイデアマンだった。マーフィー組とは翌年10月5日札幌でリマッチを行い、力道山組が防衛を果たして留飲を下げている。 (敬称略)

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