猪木と再戦叶わなかった〝人間風車〟ビル・ロビンソンの素顔 門馬忠雄氏「性格はいい方じゃない」

初来日したロビンソンは若手の井上を担ぎ上げて笑顔を見せた(1968年4月、羽田空港)

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猪木は数多くの名勝負、好勝負を残している。再戦を期待されたものの実現には至らず、たった一度の対戦で終わってしまったのが〝人間風車〟ビル・ロビンソンとの一戦だった。

この試合は今から48年前の1975年(昭和50年)12月11日、蔵前国技館で猪木のNWF世界ヘビー級王座防衛戦として、60分3本勝負で行われた。

1本目は42分53秒、ロビンソンが一瞬のスキを突き逆さ押さえ込みで先制。時間切れ寸前に猪木が卍固めを決めると16分19秒、残り48秒を残し、ついにロビンソンがギブアップ。3本目が始まり、猪木は猛ラッシュをかけドロップキックを連発するも、時間切れを告げるゴングが鳴り響いた。

ロビンソンが国際プロレスで活躍しているころから対戦が望まれていたが、期待にたがわぬ名勝負となったのだ。観客は興奮し、リングに入り込む者もいた。

68年(昭和43年)2月、国プロは〝悪評高い〟ブッカーのグレート東郷と決別し、欧州に外国人ルートを求めた。吉原功代表は国プロ発起人のひとりで、早大レスリング部つながりの日本レスリング協会・八田一朗会長に仲介を依頼。

欧州から、日本プロレスに来日するレスラーとはファイトスタイルの異なる外国人レスラーが相次いで来日した。

そして、ロビンソンが初来日したのは同年4月1日、「日英チャンピオン・シリーズ」だった。

ロビンソンは、羽田空港で行われた会見で若手の井上末雄(後のマイティ井上)をアルゼンチンバックブリーカーの体勢で担ぎ上げ笑顔を見せた。(写真)

10年間無敗の真偽を問うと、「今年レスラーになって10年目になるが、相手レスラーに2フォールでピンされて負けたことはない。私は世界一だと思ってる。全英タイトルを取ってからもう3年半になる」と語った。

欧州のレスラーは、地味な選手が多かったが、ロビンソンは〝当たり〟だった。試合ぶりは反則をしない〝英国紳士然〟としていて、それまでの外国人レスラーとは一線を画していた。そして、初披露したスープレックス(ダブルアーム)は人間風車と形容された。というのもロビンソンのスープレックスはスピードがあり、相手がマットに叩きつけられる寸前までグリップを離さない。華麗かつ破壊力を秘めていた。

ほどなく日本陣営に就いたロビンソンは、翌69年までエースとして活躍して大人気レスラーとなったのだ。

ロビンソンについて、プロレス評論家の門馬忠雄氏は「レスラーとしては最高だよ。ただ、自分を売るのに何でもかんでも技を全部出すからね。やらしいよ。(ミル)マスカラスと一緒。いいかっこしい。ただ、レスリングに関してはビシッとしてたけどね」と評価する。

そして「性格はいい方じゃない。ストロング小林が『性格よくない』ってはっきり言ってた。2人は仲がよかったけどね。ロビンソンを2、3回新橋に飲みに連れて行ったよ。あいつは、夜になるとますます元気なんだよ。下半身がやたらと強いから(笑)」と明かす。

「ロビンソンと飲みに行くって(人は)そんなに(何人も)いないでしょ。74年5月かな、エド・フランシス(ハワイのプロモーターで顔役)も同行して3人でバーに行った。真夜中だから、ママの代わりにオレが(カウンターの中に入って)ロビンソンにウイスキー作ってやったんだよ。(流しの)弾き語りが来たから、ロビンソンに『お前、歌うたえ』って言ったら怒っちゃって(笑)。片腕でネックハンギング食らってカウンターから(客側に)引っこ抜かれたよ。あいつ音痴なんだよね」と門馬氏は笑う。

ところで、猪木との再戦が期待されたロビンソンは76年に全日本プロレスのリングを選択する。7月24日、ジャイアント馬場のPWFヘビー級王座に挑戦し、必殺のフライングネックブリーカードロップでフォール負け。猪木ファンを大いに失望させた。

同僚カメラマンのTタイムズMは「ファンのころホテルに行ってロビンソンにサインをもらいました。女性ファンにだけ愛想がいいのかと思っていたけど、全然違いました。『国際のころからあなたのファンです』と言ったら『サンキュー』と返してくれた。『日本のファンは猪木との再戦を望んでいる』と言ったら、無言で去って行きました」と苦笑する。

全日から高額ギャラが保証され、継続参戦していたロビンソンだが、ファンの評価はかんばしくはない。

「ロビンソンが一番いいときってのは国際にいる時期。全日に移ってからは、練習しないあんなブヨブヨ(な体)は見たくもなかったよ」。門馬氏も残念そうに語る。

とにもかくにも、猪木と一度だけの対決はまさに傑出したものだった(敬称略)。

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