マリオなのに、異質な世界観!名作『スーパーマリオランド』から振り返る、平成初期の子供ゲーム事情

マリオなのに、異質な世界観!名作『スーパーマリオランド』から振り返る、平成初期の子供ゲーム事情

5月15日、『ゲームボーイ Nintendo Switch Online』の配信タイトルに1989年発売の『スーパーマリオランド(以下、スーマリランド)』が追加されました。

『スーマリランド』はファミリーコンピューター『スーパーマリオブラザーズ』シリーズのシステムを踏襲しながらも、その中身は全く異なります。エジプトやイースター島といった実在する地域や遺跡をモチーフにしたステージ、本家シリーズとは異なる特性の敵キャラ、そして唐突に始まる横スクロールシューティングなどなど。“マリオじゃないマリオ”として、今でも根強い人気を誇っています。

そんな『スーマリランド』をプレイしつつ、この作品が当時の子供たちにどのようなインパクトを与えたのかを振り返っていきましょう。

◆マリオじゃないマリオ!?

1989年4月21日、任天堂からコンピューターゲームの歴史を変えてしまう携帯機、ゲームボーイが発売されました。

そのローンチタイトルとして同時に発売されたのが、『スーパーマリオランド』です。これはファミコンソフトとして社会的現象を巻き起こした『スーパーマリオブラザーズ』の移植版……と思いきや、何と基本的操作システム以外は『スーパーマリオブラザーズ』とは全くの別物。キャラクターもピーチ姫ではなくデイジー姫、クッパではなく宇宙人タタンガという悪役が登場します。

さらに、『スーパーマリオブラザーズ』のノコノコのような「ノコボン」という敵キャラは、ジャンプで踏みつけてしばらく経つと爆発する仕様。これがなかなか厄介で、狭い足場のノコボンは雑魚キャラどころか驚異的存在です。甲羅を投げてクリボーをポコポコポコ……という爽快プレイは『スーマリランド』ではできません。

キノコを食べて大きくなるのは同じ仕組みですが、フラワーを取ってファイアマリオになるという点は変更されています。『スーマリランド』ではファイアではなく、なぜかスーパーボールを投げるようになり、壁やブロックに当たると跳ね返ります。そして、このスーパーボールを使ってコインを収集する場面も。

これ、マリオなのにマリオじゃない! しかしそれは、ファミコンの『スーパーマリオブラザーズ』とは角度の異なる面白さが凝縮されているという意味でもあります。

◆『スーマリランド』独自のBGM

『スーマリランド』は、BGMも特徴的でした。

一番最初のステージ、地下ステージ、そしてスターを取って無敵になった際も『スーパーマリオブラザーズ』とは異なるBGMが鳴り響きます。特に無敵状態のそれは、ジャック・オッフェンバックの『天国と地獄』だったりします。「運動会の定番曲」と書けばお分かりいただけるでしょうか。

ファミコンのマリオとは全く違う、それでいてファミコンと同じくらいかそれ以上に記憶に残る軽快なBGM。これらの要素を盛り込んだ『スーマリランド』は、本家とは一線を画す独自の地位を構築していきました。

途中から横スクロールアクションゲームが始まるという点も、当時の子供たちにとっては衝撃的だったはずです。

潜水艦や飛行機に乗って、襲いかかる敵を次から次に撃ち落としていくマリオ。彼が飛行機の操縦までできるという点も驚きですが、そもそも「進行途中でゲーム性が変わる」という作品自体が少ない時代でした。子供たちが熱狂したのは言うまでもありません。

◆子供たちを家から出した名作

各ステージの終わりには、上下2ヶ所の扉があります。どちらに入ってもステージクリアですが、より到達難易度の高い上の扉に行くとボーナスゲームが待っている……というなかなかどうしてオツな仕様になっています。

『スーマリランド』は残機が無くなったら最初からやり直しですが、常に上の扉を目指していけば自然と残機が増えるため、そのあたりで全体的な難易度を調整していたように見受けられます。

ゲームボーイの小さい白黒画面のせいで、狭い足場がはっきり見えづらいということもありました。しかし、それを補って余りある面白さ、中毒性、そして「家の外でマリオをプレイできる!」という革新性が筆者も含めた当時の子供たちを虜にしてしまいました。

ゲームボーイと『スーマリランド』の登場により、公園の子供たちはベンチの上でゲームをするようになりました。それを、「何で外でもゲームなんかやってるんだ? 野球をすればいいじゃないか!」という具合に、あまり良く思っていなかった当時の大人もいたかもしれません。

しかし、子供たちには子供たちなりの事情があります。

筆者の親は1950年代生まれ。団塊世代より下の、いわゆる「しらけ世代」です。この世代は高度成長期の真っ只中に少年期を過ごしましたが、まだ自宅の近所に空き地が残っていた時代でもあります。少年野球チームに入らずとも、友達とのびのび野球をすることができた最後の世代ではないでしょうか。

それよりさらに下の世代になると、悠々と遊べる場所が少なくなったために、ライフスタイルがインドア志向になっていきます。外に出ても、適当な空き地がありません。そうしたことに起因する子供たちの鬱屈を消化してくれたのが、ファミコンを始めとする家庭用コンピューターゲームでした。

そして、ゲームボーイの登場は家に引き籠っていた子供たちを再び外へ出す効果ももたらしました。昭和30年代に少年期を過ごした人がメンコやベーゴマに夢中になっていたように、平成一桁時代の子供たちは太陽の輝く下でプレイする『スーマリランド』に夢中だったのです。

◆「偉大な傍流」の原点

本流に勝るとも劣らない魅力を持つ「偉大な傍流」として、『スーマリランド』は今でも高く評価されている歴史的作品です。

さらに、携帯ゲーム機の可能性を大きく切り開き、結果的に「外でゲームをプレイする」ことの面白さを我々に示してくれた功績も。そんな『スーマリランド』は、次世代にも語り継がれるべき傑作と言えるのではないでしょうか。

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