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「不安が一番の敵だった」。ヨット単独無寄港・無補給の世界一周を成功させ、30年ぶりに日本人最年少記録を更新した西宮市の会社員、木村啓嗣さん(24)。同市の新西宮ヨットハーバーで9日に開かれた記者会見では約8カ月に及んだ航海を振り返り、「和歌山県が見えた時は『やっと戻ってきた』と思った。少しずつ実感がわき、支えてくれた人を思うたび、うれしさが大きくなっている」と笑みを浮かべた。
30年前に比べ、航行の機器は飛躍的に進歩した。日本の支援チームにインターネットで1日2回報告し、交流サイト(SNS)のインスタグラムで中継できる。それでも、たった一人で大海原を行く孤独と恐怖に絶えず襲われた。
天候や機器の調子など「良いハプニングでも悪く感じてしまう。考えるほどマイナスの気持ちが湧く」。そこで、起こりうる事象の対策を練ったらいったん考えることをやめ、新たな事象に対応できるよう備えた。状況は極力感情を交えず、チームに報告した。
眠い時に寝て、おなかがすいたら食事をし、トイレに行きたい時に行くなど、人間らしい生活を心がけることでより時間を短く感じられたという。
帆が破れたり、最大の難所で南米大陸最南端のホーン岬(チリ)を越える直前にロープを巻き上げる機械に不具合が生じたりしたこともあった。「そんな時は(チームに)電話して気持ちを整理できた」という。
一方、ホーン岬では、船乗りの間で幸運をもたらすとされる真っ白なアホウドリに出くわし、年中曇りがちとされる土地柄にあって夕日の絶景がみられた。「夜冷えた体が太陽光で温められ、本を読めるほど月が明るい夜がある。自然が作り出す、すごい世界だと思った」
世界一周の夢は、高校の時に抱いた。海上自衛官から転職しての挑戦を支えたヨット愛好家で総合リサイクル業「浜田」(大阪府高槻市)の浜田篤介社長は「青年の純粋な思いに応えたいと思った。彼の怖がりで慎重な性格が、成功の秘訣だった」とみる。
2年前の断念をバネにチーム一丸で訓練を重ね、快挙を成し遂げた。「世界一周をしてみたい、ヨットをしてみたいという刺激を若い人に発信できたことが何より大事」と浜田社長。木村さんは「これからも規模やジャンルを問わず新しいことに挑戦し、やり抜くことの大切さを伝えていきたい」と前を見据えた。(浮田志保)