俯瞰するニッポン(その9)~歴史を刻むこの場所・広島おりづるタワー~

1945年8月6日朝、広島に原子爆弾が落とされました。そして、この場所は一瞬にして廃墟となりました。現在、世界平和を願う象徴として「広島平和記念公園平和公園)」と呼ばれています。

原爆ドーム・・・

地上から見上げる原爆ドーム

また、爆心地に近い原爆ドームは、1915年に広島県物産陳列館(産業奨励館)として建築されたものです。

広島市は、日清戦争(1894~1895年)の際に大本営が置かれ、軍都として発展しました。経済規模の拡大とともに、広島県産の製品の販路開拓が急務となっていました。そのために、拠点が必要となり、物産陳列館が建設されたのです。

戦前、太田川の中州として発展していた町は、1955年には丹下健三の設計によって平和公園として完成。また、原爆ドームを北の起点として原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館が南北方向に一直線上に位置するよう設計されています。原爆ドームをシンボルとして際立たせる意図があったと言われています。

1996年に世界遺産として登録されました。

おりづるに思いをこめて・・・

この原爆ドームや平和公園を俯瞰できる場所が、おりづるタワーです。そして、そこは原爆ドームと隣り合わせになる場所です。この建物は、1978年に広島東京海上ビルとして建築されました。広島電鉄路面電車が走る目抜き通り、相生橋の手前にあります。平和公園の外、新たな観光施設として改修、2016年に竣工されました。また、屋上展望台(ひろしまの丘)からは、まさしくこの風景を見ることができます。

おりづるタワーは、貸会議室やパーティー会場を有するイベントスペースです。また、展望台の一つ下の階には、平和を祈る体験エリア(おりづるの壁)があります。専用紙で折ったおりづるを壁の隙間から投入する。その世界中から集まる平和への想いや祈りが壁一面に積み重なる日がやって来る。「おりづるの壁」が完成するのです。

修学旅行と広島「平和教育」

さて、修学旅行は、学習的効果を高めることに第一義とする旅行です。学校現場では、過去の歴史を見つめ直すため、「平和教育」を主眼とする学校が少なくありません。

昨今、いずれの都道府県も修学旅行での航空機利用が解禁されています。その結果、数多くの学校が沖縄を訪れる時代となっています。しかし、航空機が解禁される以前は、ここ広島が「平和教育」の中心地でありました。特に、多くの修学旅行が実施される秋は、相生橋手前まで貸切バスが渋滞していました。そのため、相生橋付近でバスを降り、原爆ドームを眺めながら平和記念館まで歩くことが少なくありません。

また、広島市内には、修学旅行を宿泊させるホテルや旅館が少なかったために、ほとんどの学校が疾風のごとく、平和公園から出発していくのです。

次世代の子供たちに「本当」を伝えるために・・・

肉眼で相生橋や平和公園も俯瞰できる

爆心地に近い平和公園だけではなく、ここ広島市内には、戦争時の遺構がたくさん残っています。軍都であるが故の宇品港や特攻隊の基地と言われた江田島などの史跡もあります。また、原爆の被災を受けた語り部の方々も高齢化し、その当時を知ることも難しくなってきています。

私たちは、人類が犯した原爆という破壊兵器をしっかりと後世に語り継ぐ責務を背負っていると思います。そのためには、ただ単なる観光旅行ではなく、しっかりと学ぶことも重要なことではないでしょうか。

2024年1月、福岡空港に向かう航空機から太田川流域のデルタ地帯を見ることができました。T字型をした相生橋や平和公園も肉眼で確認できました。

人は忘れ去る動物です。忘却の彼方に大切なモノ・コトが消えないように、記憶・記録を残さねばなりません。

俯瞰するニッポンに触れるたびに、新たな気持ちになる。窓の外に広がる景色は心を豊かにしてくれます。

寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨/代表

(これまでの寄稿は、こちらから)

© 株式会社ツーリンクス