武藤敬司の参謀を務めたカズ・ハヤシが引退 さわやかに第二の人生に踏み出せる理由

【柴田惣一のプロレス現在過去未来】

(写真提供:柴田惣一)

“永遠の好漢”カズ・ハヤシが7月1日をもってレスラー人生にピリオドを打つ。

「実は22歳ごろから、辞めた後のことを考えるようになっていた。今回、理想の引退ができるメドが立った。やり残したことはないし、第二の人生をスタートする」と爽やかすぎるカズスマイル。

小島聡につけられた「男の中の色男」という異名に本人は猛反発。普段は仲の良い小島だが「なんてこと言うんだ」とこれだけは譲れない。珍しく口をとがらせるが、さわやかな笑みと物言いは万人を魅了する。カズの悪口をまずは聞いたことがないし、カズの口から人の批判が飛び出すことはない。

(写真提供:伊藤ミチタカ)

デビュー戦でいきなり胸骨を折る大ケガで始まったレスラー人生。「とんでもなく厳しい世界に入ってしまった、と思い知らされた。逆にそれが良かったのかも知れない」とポツリ。キャリアを積み重ねても、試合前にはとてつもない緊張感に襲われる。まさに波乱万丈の32年の幕開けだった。

ユニバーサル、みちのく、メキシコ、米WCW、米WWF、全日本、WRESTLE―1、LIDET、GLEAT…海外をふくめ多くの団体で活躍してきた。辛い時も多々あったはずだが、持ち前の明るさとスマイルで乗り切ってきた。

ディック東郷、ザ・グレート・サスケ、邪道・外道…たくさんの先輩たちにお世話になってきた。中でも武藤敬司の存在は大きい。「海外、全日本、W―1と公私に渡って、身近な存在だった」と感謝は尽きない。

武藤から「全日本プロレスのコーチをやってくれないか?」と道場での指導役をお願いされた。人に教えることの大変さを身をもって知る。各人の個性を理解し、体の大きさなどそれぞれに合った指導法を取る。「試行錯誤の連続だった。プロレスを改めて考え、レスラーとしても人間としても自分が成長できた」とにっこり。教えることで自身も勉強になったという。

当時、ケンドー・カシンもコーチ役を務めていた。「人のまとめ方など、僕とは違っていた」とまたまたスマイル。かけがえのない経験の日々だった。

8歳の時に初代タイガーマスクに憧れ、プロレスラーになる夢を抱き実現。数々のベルトも腰に巻いた。引退後の人生プランも出来上がっている。思い描いていた通りの引退に「悔いはない」とキッパリ言ってのける。

(写真提供:大仁田屋)

ラストスパートは大忙しだ。大仁田厚との電流爆破マッチ(6・9名古屋大会=カズ、CIMA、田中稔組VS大仁田、河上隆一、ヨシ・タツ組)も待望の初体験。白装束で出陣し大暴れ。有刺鉄線電流爆破バットをボディに叩き込まれ、爆破の威力を体に刻みこんだ。最後はヨシ・タツを有刺鉄線電流爆破バットで仕留めた。

「大仁田さん、ありがとう。俺は最高のプロレス人生だった」とアピール。ところが大仁田と反体制をぶち上げた河上に、いったんはリングを占拠されてしまった。それでも最後は「俺は最後まで突っ走る。GLEATしようぜ!」と大会を締めくくった。

とはいえ引退ロードはまだまだ続く。「憧れだった」とMAOから対戦を迫られ「俺から伝える」と獅龍がDDT・ユニバーサル王者・MAOに挑戦(6・16TOKYO FMホール大会)することになった。

獅龍はみちのくプロレス6・21東京・後楽園ホール大会にも参戦。ディック東郷と組み、サスケ、新崎人生組と対戦する。

そして7月1日のファイナルマッチ。東京ドームシティ大会で、G-INFINITY王者として、CIMAとともに、石田凱士、井土徹也組の挑戦を受けて立つ。試合後に、第二の人生を発表するつもりだ。

林和広(本名)に戻るまで残り3週間。それまではプロレスラーとして全力で走りぬく。「第二の人生に進みます。皆さん、ありがとうございました」とカズスマイルがまぶしく輝いた。

(写真提供:柴田惣一)

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