練習試合で大学生に股抜きされて「俺、終わってるな」と引退を決意【流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白】#1

横浜FC時代、三浦カズ(右)と松井大輔(C)Norio ROKUKAWA / Office La Strada

【流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白】#1

日本代表最多152試合出場の遠藤保仁(G大阪コーチ)を筆頭に、8年間代表主将を務めた長谷部誠(フランクフルト)、歴代3位の代表50ゴールの岡崎慎司(シントトロイデン)と2024年は大物サッカー選手の引退が相次いでいる。彼らと10年南アフリカW杯を共闘し、カメルーン戦で本田圭佑の決勝弾をアシストした松井大輔も、この2月に現役生活にピリオドを打ち、新たなスタートを切った。欧州を漂泊した希代のファンタジスタの24年間のフットボールライフを振り返る──。

◇ ◇ ◇

「引退の仕方っていろいろあると思うけど、インスタで発表するのも新しいかなって」

2月20日の夜、長年の盟友・大久保嘉人(解説者)と元女子レスリング日本代表の吉田沙保里と突如としてインスタライブを開き、電撃的な引退発表を行った。日独両国でじっくりと引退会見を開いた長谷部、動画で「バイバイ」とアッサリ去った遠藤とは異なる区切りのつけ方を見せた。

■眠る場所を探していた

鹿児島実業高から00年にJ京都入りした頃から、自然体のスタイルは変わっていない。

「カズ(三浦知良)さんは『グラウンドで死ねればサッカー選手として万々歳』と言い続けてますけど、僕も長い間『眠る場所』を探していたのかも知れない。正直、36歳くらいからは、持ってる能力の70~80%しか出せなくなっていましたから。余力でやってた状態ですけど、それでもオファーがあるなら、やっぱりサッカーがしたい。相手を抜いたりとか、ちょっとでも輝ける時間があるのなら、ピッチに立ちたいと思って続けてきました」

コロナ禍の20年にベトナム1部・サイゴンFCに赴いた際にも、こう語っていた。40代に突入して徐々に体が動かなくなる中、23年シーズンを迎えることになった。

昨季在籍したJ3・YSCC横浜は、ポーランドリーグのオポーレで苦労を分かち合った星川敬監督体制でスタート。コーチ的な役割も担いつつ、選手との二刀流でシーズン前半を戦った。

だが、その星川監督が8月に成績不振で更迭され、倉貫一毅現監督が就任した直後にショッキングな出来事に直面した。

「雨の日の練習試合で大学生に股抜き、されたんですよね。1回目はボールと一緒に削りにいったけど届かなくて、相手は2回目もやってきた。その時点で『松井大輔、もう終わってるな』と痛感しました。大学生に股間を通された時点でプロじゃないからね」

抜群の創造性と卓越したスキルで生き抜いてきた男にとって、年下のアマチュア選手に股を抜かれたのは、許しがたい瞬間だったに違いない。

■カズさんは「俺は認めていない」と

「もともと23年でやめようと考えてましたけど、これはまさに致命傷。ボンバーヘッドの(中沢)佑二君が大学生にヘディングで競り負けるのと一緒ですからね(苦笑)。自分のプライドが許さなかった。YS(CC横浜)のフットサルチームで24年6月まで現役を続けるプランもないわけじゃなかったけど、体をつくり直すだけで3カ月はかかる。(フットサルの)朝の6時からの練習に出るのもしんどく思えて、潔く見切りをつけた方がいいと思ったんです。カズさんには『俺は(引退を)認めてない』と繰り返し言われましたけど、決めた以上はスパッとやめるしかない。自分の意志を貫いたんです」

妻で女優の加藤ローサさんと2人の息子たちも引退を予想していたのだろう。股抜き事件の直後に「俺はもう……」と伝えた時には、すんなり受け入れてくれた。

「嫁さんはフランス、ブルガリア、ポーランドに一緒に来てくれて、ジュビロ磐田やサイゴンの時は単身赴任も受け入れてくれた。自分がやりたいようにやらせてくれたんで、大変だっただろうし、本当に感謝しています」

サッカー選手を24年間も続けるには、周囲のサポートも欠かせない。支えてくれた人すべてに深く頭を垂れる彼のサッカー人生で真っ先に思い出されるのは、10年南アW杯初戦で決勝弾をアシストした雄姿である。(つづく)

(取材・構成=元川悦子/サッカージャーナリスト)

▽松井大輔(まつい・だいすけ)1981年5月11日、京都府生まれ。43歳。2000年に鹿児島実業高からJ京都入り。フランスのルマンを皮切りに6カ国.13クラブを渡り歩いた。YSCC横浜ではフットサルチームにも所属してFリーグに出場。「二刀流」をこなした。04年アテネ五輪出場。10年南アフリカW杯ベスト16。24年4月から横浜FC、浦和の育成部門でコーチを務める。

© 株式会社日刊現代