予約6か月待ちの“幻のたまご”復活に向けて…経営破綻乗り越え、農園再建へ再スタートした男性 熱い思いに広がる支援の輪

かつて高知県三原村で養鶏場を営んでいた男性が放し飼いで地鶏を育て、その卵は「幻のたまご」と呼ばれていました。野生動物や台風による被害で一度、経営が破綻したものの、集落に賑わいを取り戻そうと再びスタートを切った男性。「必ず農園を復活させる」。その熱い思いに共感する人たちの支援の輪が広がっています。

▼藤田守さん 「正直またゼロからのスタートになるんでね。今本当にワクワクしてる」

こう話すのは、かつて三原村で養鶏場を営んでいた藤田守(ふじたまもる)さん53歳です。藤田さんは愛媛県出身で、2002年自然豊かな環境で子育てと農場経営がしたいと三原村に移住。村から借り上げた2万1000平方メートルの広大な土地を開拓し「しゅりの里自然農園」を開きました。「しゅり」には地域に産業をつくることで過疎高齢化が進む「里」を「守」りたいという思いが込められていました。

農園では24時間放し飼いで地鶏を飼育。そのたまごは落ちても割れないほど殻が固く、黄身は手でつかめるほど丈夫でした。メディアで取り上げられたことがきっかけで予約待ちの状況が続き、「幻のたまご」とも呼ばれました。事業は軌道に乗っていましたが、2012年、廃業への引き金となる出来事が。

▼藤田守さん 「鶏が食べられて全滅してしまったというのが1つ目のきっかけ」

ハクビシンなどの野生動物が鶏を襲い、当時飼育していた6000羽のうち5700羽が被害に。そして2014年には2度の台風が農園を襲います。

▼藤田守さん 「台風で屋根がことごとく吹き飛ばされて、それが決定打」

そして2019年に経営は破綻。金融機関からの借入などおよそ5000万円の負債を抱え、藤田さんが一から切り開いた農園は閉園に。藤田さんは農園があった場所を今でも時折訪ねています。

▼藤田守さん 「見る影ないね。開拓からスタートして一つひとつ形にしていったものがこうやって無に返ったわけやけど」

当時、藤田さんは次々と取り壊されていく鶏舎や自宅を目の当たりにしていました。

▼藤田守さん 「泣き叫んでましたよ。やめてくれーってね。今でも泣けるけど。けど、取り壊しにきたそこの社長さんに、看板持っておくから後ろから写真撮ってくれって。絶対この日を忘れるかと思ってね。絶対復活さしたるって思ってね。そう誓った日でしたつらかったけどね」

藤田さんはその誓い通り、農園復活に向けて動き出します。2023年10月に自己破産手続きを経て債務整理を終えた藤田さんは、新たな場所に農園を開くことを決めました。再出発の地に選んだのは以前の農園から直線距離で1.3キロ離れた三原村芳井(よしい)地区です。地区の人口は15人。過疎高齢化が進む三原村の中で最も人口が少ない限界集落です。

藤田さんは地区にある森を借上げ、以前の農園同様、一から開拓を進めています。

▼藤田守さん 「またこうやってゼロからチャレンジできるっていうのが本当に嬉しい」

農園復活に向け再スタートを切った藤田さん。その原動力となっているのは、廃業後、日々の生活もままならない藤田さんに手を差し伸べてくれた地域の人たちへの感謝の思いでした。

▼藤田守さん 「仕事もない現金収入もない私に対して仕事を分けてくださった。それによって現金収入を得ることができて、債務整理も無事終わらせることができたというのもありますのでね。自分自身が恩返しができる手段としたらこれ(養鶏)しかない。私は放し飼い養鶏で外貨を稼いで雇用を作っていけるように、もう一回やり直していきたいと思っています」

新しい農園の名前は、「里を守る」という理念を引き継ぎ、「しゅりの森自然農園」にしました。今年11月に鶏の飼育を始め、卵は来年1月から出荷する計画です。森の開拓は順調に進んでいて、現在はスギやヒノキを切り出した場所に、鶏の餌となる桑の木などを植樹しています。また、四季を彩る花や木も植えています。

▼藤田守さん 「ここの地主さんがすごく協力的で、こんな木あったよ、といってどんどん植えてくれている。ありがたいね。これだけは」

しかし、農園再建のためには、鶏舎の建築費や鶏の購入費、餌代など莫大な資金が必要です。藤田さんは資金をクラウドファンディングで募ることにしました。目標金額を100万円に設定し、3月初めから募集を開始すると…わずか5日で達成。最終的におよそ200万円の資金が集まりました。

6月2日、藤田さんは芳井地区の住民に今後の事業計画を説明しました。

▼藤田守さん 「5年前に事業を失敗した身ですが、雇用の創出という形で芳井地区の皆さんに貢献できればと考えています」

会には、農園に木や花を提供している地主の松本さんの姿もありました。

▼松本富美代さん 「とにかく藤田さんの言うような森にしたいなと思って家にあるものを持って行って山に植えたり。とにかく早く卵拾いがしたいです」

▼会の参加者 「再度挑戦ということでもあり、できる協力はしていきたいなと。微力ですけど」

▼藤田守さん 「ぜひお願いします」

地域の人たちからのうれしい後押しはほかにも。開拓の拠点となるコンテナハウスが無償で提供されました。提供したのは地元で建設業を営む男性で5年前、以前の農園を取り壊す際に看板を持つ藤田さんを撮影した人でした。

農園再建への支援の輪は、着実に広がっています。藤田さんが、県外から届いたという一通の手紙を見せてくれました。それはクラウドファンディングを立ち上げた時に、インターネットの使い方が分からないからと直接現金を送ってきた人からの手紙でした。

「突然にお手紙します。私は週に3日のパートにでておりますが、今月は一日分だけお給料が多かったのでその分を送らせて頂きます。我が家もけして豊かとは言えませんし贅沢はできません。今月は食費を少しだけ節約してやりくりすればと思っています」

▼藤田守さん 「正直これを見た時泣きました。嬉しくて」

手紙の最後には、こんな言葉が綴られていました。

▼藤田守さん 「いつか高知を訪ね、私と鶏さんに会いに来られたいということを書いてました。お招きできるように早く復活したいなと思っています」

里を守る=しゅりの物語第2章はまだはじまったばかり。藤田さんがこの地に蒔いた小さな種がいつか大輪の花を咲かせるその日まで、藤田さんはただひたすらに、前を向いて歩み続けます。

資金的な支援はもちろん地域の人たちからの応援の声が藤田さんの原動力になっているようですね。そして、コンテナハウスを提供した建設会社の社長について。実はインタビューをお願いしたんですが、「わしゃ大したことはしちょらん」と丁重に断わられたそうです。ただ、ハウスを設置する際、藤田さんにこんなことをおっしゃっていたそうです。「おまんはわしとの約束通り復活したがじゃけん、これくらいのことはしちゃらなあかん。復活の扉を開くにはこれくらいいるろう」と。設置を終えると、さささーっと帰っていったそうです。

藤田さんを支援する輪、これからもっともっと広がっていきそうです。

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