「生ある限りは、伝えていきたい」人と自然の記憶で伝える災害 伊豆半島沖地震から50年【わたしの防災】

静岡県内の主な活断層と過去の地震をみると、静岡県内では多くの地震が発生してきたのですが、関係者の高齢化とともにその教訓は伝えるのが難しい現状です。そこで、人だけではなく、自然の記憶を生かした伝承の取り組みが始まっています。

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2024年5月、静岡県南伊豆町で開かれた慰霊祭。遺族など約100人が、50年前の伊豆半島沖地震の犠牲者を悼みました。

石廊崎沖を震源に発生した伊豆半島沖地震は最大震度5を記録し土砂崩れなどで30人の死者が出ました。

<遺族代表・萩原作之さん>
「日赤の看護師さんは、泥に埋もれていた父と息子の遺体をきれいにし、泣きながら頬ずりしていた妻の姿は、一生忘れることはできません」

この慰霊祭も関係者の高齢化などを理由に今年が最後の開催となりました。

遺族代表として参列した萩原作之さんは、父親の清次さん(享年59)と長男の清之さん(享年2)を亡くしました。

<萩原作之さん>
「トランシーバー持ってる私が。連絡要員を消防とやってたから。例えば私らの子供(の遺体)が出そうだよって時になると、すぐに家族を呼び集めたんです」

萩原さんは当時30歳。地元の消防団も務めていたため、亡くなった27人の遺体搬送も手伝いました。

<萩原作之さん>
Q.災害の記憶を後世に残したいという気持ちは
「ありますよ。だけど、それを強制はできないし。生ある限りは、という考えで伝えていきたいと思う。しかし、これも2代、3代となったら、ないと一緒ですよ」

災害の経験をどう伝えていくか。いま、新たな伝承の形が模索されています。

<伊豆半島ジオガイド 齊藤武さん>
「これは元々海にあったということで、どうですか、これだけの石が持ち上がるってどう?」
<小学生>
「ちょっと怖いね」

伊豆半島ジオガイドの齊藤武さん(53)です。下田市で学習塾を営む一方、自然体験活動を通して災害の記憶を伝えています。

下田市の海岸には、170年前の安政東海地震で6mほどの津波が襲ったとされ、32トンのこの岩は津波で海から打ち上げられたといいます。

<子ども>
「170年前のものがあるのはすごい」
「いつ来るかわからない地震」

<伊豆半島ジオガイド 齊藤武さん>
「こういうものを見て、常に警戒する心を忘れずに心にとどめつつ、自然の中で遊んでもらえれば」

50年前の伊豆半島沖地震の痕跡は「断層のずれ」です。

<伊豆半島ジオガイド 齊藤武さん>
「もともと、この面がここまであったんですけど、地面がこうずれたわけですね」

<伊豆半島ジオガイド 齊藤武さん>
「1月に起きた能登半島の地震も地震の先生からすると起こるべくして起きたと。同じく伊豆半島も痕跡があったり津波石のようなものがある。常に災害とか地震とか火山とか、そういうもののことを考えながら、日々生活していくといいのかなと思います」

伊豆半島沖地震で父親と息子を亡くした萩原さんも、当時を記録した石碑を大事に守っています。

<萩原作之さん>
「『想わざる山津波 悲し父と吾子 抱きいだかれ 永久の旅ゆく』。(この短歌は)女房が考えたね。これがある限り、忘れないよね」

過去の地震の痕跡と、遺族の声は、現在を生きるわれわれに警鐘を鳴らしています。

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